生きて。
(今回で闇がピークを迎えます。きっとね。
誰でも読める場でこんな話をするのは恥ずかしいです...
けれど、これは某サマースクール書類選考のうちの課題作文にて書いた話です。
私が選考を通ったということは、それを乗り越えることが他人の目から見てすぐれていることだと認められた。私はそう思っています。
だから書きます。
ジブンガタリの要素が濃い今回のブログですが、「こんな人間もいるんだぁ」程度に流していただけると有難いです。自慢話でも、悲劇の主人公気取りでもないのでね。)
ひとまず、課題の波を乗り越えました!!!!!!
モラトリアム満喫中のえふでございます(*´▽`*)
今日はしっかり休めそうで嬉しい☆
この和むはずの時間に、こんな重っっったい話でいいのでしょうか...(^_^;)
今までのブログの中で
「認知」「寛容」「半イジメ」そして、「自分のための人生を終えている」
気付けば、避けようとしていた話のパーツは揃ってしまっていてね...
もう隠す必要もないか!!って気になりました。勝手に...(笑)
長ったらしい昔話です。よろしければお付き合いください。
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小学4年生が始まった頃から、いじめっ子グループは私に目を付けはじめ、例の"ダル絡み"を始めた。暴力はそう多くないけれど、泣き虫だった私は頻繁にからかいを受けたり物を盗られたり。それに対して反抗・泣き出し・救援などをすると、その行為に対し更にからかわれる。
何とか耐え続けていたものの、6年生の頃の担任も(たまたまだが)似たいじり方をしてしまったことで、学校内に救いは無いのだと悲観。その時見ていたとあるドラマで、四肢を縛りプールで自殺を図るシーンを見て「これなら簡単に死ねそうだな...」と決心。ビニール紐やらガムテープやらを買い揃えて「あと〇日で...」と本気で待機。
そう身構えていたある日、掃除時間中に隙を見つけて声をかけたクラスの女子がひとり。
「苦しんでいるのは知ってる。みんなどうにかしたいって思ってるから、辛かったら私に相談してね。」と励ましてくれた。
「まだ期待してみようかな...」そうして、死ぬタイミングをズルズル先延ばしにして、気付けば中学校に入学してしまっていた。
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はい、良い感じに簡略化できました!(⋈◍>◡<◍)。✧♡
きっとそんなに重く感じなかったでしょ?詳細避けましたもの。
けれど、本題はここからなのです...
あの頃は、
「なんで私がこうして惨めな思いをするのだろう...!」とか、
「もう生きていられない!」とか、
「誰も助けてくれない!」とか。そんなことで頭がいっぱい。
見えていなかったんですよ。
学校外で平穏を与えてくれていた家族、兄の友人、幼馴染の存在が。
学校内にさえ少数ながらいてくれた、気にかけてくれる友人の存在が。
義務教育段階の学校の良くないところって、「狭い世界でしか生きられない」点だと思うんです。
学校で居場所がないと、あたかも1日24時間すべてにおいて孤立しているように感じる...。
そうして自殺未遂までしちゃって、
本当に死んでいたら...
家族は、幼馴染は、兄の友人たちはどれほどのダメージを負っていたのだろうか...?
あの女子が声をかける前に死んでいたら...
「私が早く声をかけられなかったから」と自責していたのだろうか...?
失礼極まりないことをした。
自分の命を粗末に扱いすぎた。
きっと、自分の欲望に従って人生を送っていると、また絶望に直面した時には粗末に扱うのだろう。
捨てようとした命なんだし、
もういっそ他人の為だけに消費した方が良いのでは...?
この気付きの瞬間、私は「自分のために生きる」ことを辞めました。
本当は死んでいる身なんです。なのに、それでも中学の同期、高校時代に出会えた全国の仲間、そして大学で仲良くしてくれる人たち...みんなは私を認知して、関わろうとしてくれている。
その、ごくごく当たり前が、私にとっての幸せで。
その幸せを、私が関わる全ての人にも感じてほしい!!!
というか、私がその幸せを損なわせたくない!!!
その想いは、私が寛容さを高めようとする大きなエネルギーです。
私が、かつて思っちゃっていた「誰一人...」とか「何一つ...」とかって否定。
今では一番嫌いな言葉です。
もう、たったひとつの希望を簡単に切り捨てたくないのです。
そう思いながら、周りの人が同じ言葉を口にしたときには、
「本当に、1つさえないって断言できるの???」って問いかけていきたい。
結局、小学校の絶望を超えたら、学びの充実していた高校生活・楽しさいっぱいの大学生活に出会えたんですから。
希望だって絶望だって、どちらも0じゃない確率を含んでいて。
酷な主張だって分かってる。分かっているけど、環境変化の時までは耐えてほしい。
突然かもしれないけれど、私の好きな言葉を一つ。
「強く生きなくて良い。
どれだけ強い幹も、いつかは折れる。
だから、しなやかに生きよう。」
事を重く受け止めすぎない余裕と、あらゆることを認知する余裕が大切。
その余裕が得られず、辛い思いをしているときは、ぜひ私を使ってください。
私は私で、言われずとも気付いてあげられるように、頑張って他人を見ています。
「生きていたら良いことがある」これは綺麗事でしかない、承知の上です。
「生きていても良いことは無い」これも綺麗事だと思う。
絶望に身を委ねる理由を探さないで。
変わらずいてくれる存在を、
今後出会えるかもしれない救いを、探してください。
2019.5.29(2246字)
2020.5.5 スマホより追記
ゼミで「読んでね~」って言われた本を読んで、思うことがあったので補足しに来ました。
約1年前の記事なんだね……。
締めの文章
「生きていても良いことは無い、これも綺麗事」
今見返しても、別に否定するものではないなって思います。
でもね。やっぱり酷だなって。
なんか、こういうことを言うのが私らしくなかったな~なんて思って、ここに帰ってきたんです。
私らしさっていうのは、繕わないことだと思うんです。悪く言えば嘘がつけないこと。
だから「良いことがないんです。辛いんです」って相談されても、
「確かにね……自分がこう対応したことにみんなはこう受け止めてしまって現状が変わらないことだってあるし……」とか言っちゃって、余計に追い詰めるみたいな。
これで本当に福祉の職員になれるのだろうか……?
不安にもなってくるんだけど、でもそれが私の在り方だなって。
「大丈夫!乗り越えられるよ!」って固く信じているわけではないんですよ。そう読み取れる書き方してたけど。
何事も一番の対処法は、やっぱり「じっくり時間をかけながら、自分が受け入れること」だと思うんです。急がなくて良いから受け入れる。
生きようとする力があるから、悩み苦しみ、何とかしたいって思う。
悲しいけど、その力は無限ではない。だから私は自殺しようとしたわけですし。
その有限の力を補給できるのが、心の拠り所だったり誰かの存在だったりする。その補給所を、活用しうるだけ活用しまくってほしい。そう表現するのが、より私の考えを形に出来る気がします。
私はあくまで一つのガソリンスタンド。
誰かを肩車して人生走ってあげることも、逆に人生から蹴飛ばしてあげることもできない。
でも、存在意義くらいは付与できるって信じてる。あの時の女子に貰ったガソリンは、死ぬ間際の私を少し走らせてくれた。もう少しって思って走ってみたら、いつの間にか走り続けられていた。
そんな感じかなって思うんです。
走れるだけ走ってみよう。
あなたの前に立ちはだかる絶望が乗り越えられる程度のものかどうかは、他人が決めることではない。走っているあなたにしか分からない。
走りに必要なのはスピードでも脚力でもなくって、長い時間。
だから「変わらずいてくれる存在」や「今後で会えるかもしれない救い」が大切なんだなって、
今改めて思いました。
AM2:40になるところ。
このブログは深夜・早朝にしか更新できない規約でもあるのだろうか???
おやすみなさい(⋈◍>◡<◍)。✧♡