えふの呟きLong

不定期についーとするだけのページ。

2022年。

毎度恒例になってしまった”ブログ書く書く詐欺”に終止符を。

 

 

 

ご無沙汰しております。えふです。

 

2022年も、残り30時間ほどで終わってしまいますね。皆さまお疲れさまでした。

今年一年も生き抜いて偉いです。凄いです。頑張りました。

 

学生生活がついに終わり、社会人としての生活がスタートした今年。

脱線しつつも、色々な気持ちとか考えとかを、見直しもほとんどせずにつらつら書き留めようと思います。

 

 

 

まずは、やっぱり仕事の話から。

 

学生の頃は......とにかく頭を使った。福祉という知らない分野・知らなかった世界を知ることは難しかった。

「自分の人生に勝手に上がり込んで、勝手に評価して、勝手に干渉する人」にならないために、自分の良心が他人を追い詰める迷惑なものにならないために。

サークルやゲーム、料理への比重が大きいながらも、大学にいる時間はしっかり考えてきた。

 

その時に抱いた考察や決心......

今、仕事で関わっている子どもたちに発揮できているのだろうか?

できているものもあるし、意識からこぼれてしまっているものもきっと。

体感的には、後者が大半なんですよね。

 

今思うことは、頭を動かすよりも、経験を積むことの方がよっぽど大事だということ。

文献や資料を読んで、当事者や講師の言葉を聞いて、「もっと~~した方が良いよ」「~~しなきゃいけないね」と考えてきたことも、

現場に出てみると「そんなことは百も承知、だけど実現が難しいのよ」ということばかり。だって、それまでの研究考察が絶対正義となるのなら、既に福祉は簡単な仕事になっているはずで。

 

現実、言い聞かせベースの声かけが多くなったり、トラブル時に双方の意見を大事にしようとして結局進めなくなったり......楽しい時間を創ってあげられているのかなぁ?と不安になる毎日でした。

前半3ヶ月は特に、周囲のコロナ感染もあって私の焦りが高まってしまい......

 

専門性の確立にはまだまだ乏しいながらも、”誰に対しても誠実に”という気持ちだけは忘れず、しっかり子ども相手にも謝ったり、不安な気持ちを汲み取ろうとしたりしてきました。

 

昨日の勤務にて、一番怒ってきている某小学生に「先生ともうお別れなん?」と寂しそうに言われた時は、こんな私でも頼りにしようとしてくれているんだ、と安堵して少し泣きそうになりました。

「あと4回寝たら会えるんだよ」と笑って返事しましたが。

 

そうやって関係性ができ始めているからこそ、もっと目線を合わせて、焦らせないで時間を送らせることができれば良いな、なんて思っています。

 

 

仕事は本当に大変で。

 

睡眠時間は少なく、休みの日にどこかへ出かける体力すら残っていないことも珍しくない。早く退勤したくても、人間相手なのでどうしようもなく遅れるときもあり。

まして、接触事故や寝坊など、人生初の失態もしてしまい。

 

特にショックなことは、「報連相がヘタクソ」だと自覚したこと。

伝えそびれ、確認不足、伝達の遅さ、把握の甘さ......

報連相大事!と意識しているはずなのに、初歩的なところで足を引っ張っている感覚が拭えない。

 

「なんで私を雇っているんだろう」レベルで落ち込む日もありました。

でも、仮に「キミこの仕事向いてないよ」と言われたとしても、「私はそもそも社会生活に向いていないんだよバーカ」という気持ちにしかならないので、たぶんダメージは変わらないのですが(笑)

 

それは余談としても、同期含め周囲が凄く眩しく見えるのです。

他人の欠点や苦労はこんなにも見えづらいのに、自分の欠点や苦労はどうしてこんなに見えてしまうのでしょう...?

 

誰にだって苦手なことはあるし、失敗もしている。

そんなこと頭ではわかっているのだが。しかしなのよ。

 

不安が拭えないのなら、その脆さをしっかり受け止めて、逆に子どもたちが失敗するところに一番寄り添える人を目指しても面白いのかな、とか考えたり。

ただ、しっかりしている子どもの目と心もあるから、それもまた難しい話......。

 

 

そんなこんなを、改めて文字に起こしてはみましたが、ふわっと常に考えている日々です。

下がる自己肯定感と闘いながら、目の前の子どもと真剣に、楽しく向き合っているつもりです。

 

 

 

 

 

仕事の話はこんなところで。

 

Next ➝ 歌!!

 

合唱できません!!!!!!!!!!

 

 

仕事が基本昼休憩のシフト。

どこも夜に練習しているので、一般団体に見学へ行くことも叶っていません。

車買ったら通いたいな!って入社前に考えてた団体もあったけど、勤務の関係でちょっと厳しそう。

 

今でも時々、大会や定期演奏会の音源を聴いて合唱熱を保っていますが。

仕事も忙しい上に、合唱属性のある職員さんが少ないので、歌うとしても独唱の道。

コロナ対策で厳しいながらも、月に一度はヒトカラに赴くことで歌う時間もなんとか維持しています。

 

大学の合唱団は......Twitterで見る限り、ミニコンサートもできているようで。

徐々に合唱自体は息を吹き返していることに安心しています。

 

3月、演奏会は無事に開催できるのでしょうか?

なくなっても遊びに行きます。よろしく在団生。

 

 

 

他人の歌を聴くことがやっぱり好き。

巧みな技術を見つけることもそうだけど、技術関係なしに個性が絶対出てくるからね。

来年こそは、もっと色々な人の歌を聴く機会が欲しいね。

 

その時、私は「デビルマンの人」になるのか、「Christopher Columbusの人」になるのか、「パスタの人」になるのか、はたまた他の印象が残るのか...どうなるのでしょうね?

仕事でも歌う機会が、無かったわけではないけども。

えふ先生といえば歌だよね!と印象付くほどの回数でも機会でもなかったので、そこもちょっと惜しい一年。

せっかくの、私の個性・取り柄ですからね。

 

 

 

最後に。

 

今回は、活動報告的な記事になった気がします。

2022年、閉塞感?動けていない感じ?のある一年でした。

2023年は、気持ちにも言動にも余裕をもって過ごしてゆきたいな、と思います。

 

大学の知人にも、高校時代の友人にも中々会えない日々が続いていますが、

楽しく生きていけますように(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しく、啓発的メッセージの少ない記事。

こういうのもいいかな。話の筋がしっかり通っているのかは知らんけど。

(2022.12.30 2545字)

ごはん。

今日で何度目の宿直でしょうか?

誰かが詰所におられる時に打ち込む罪悪感.......

 

すみません。ちゃんと業務は取り組んでいるので許してください。

 

 

こんばんは。えふです。

 

およそ4時過ぎにこの記事は投稿しています。ひぇー。

いつもの深夜更新ですので、まあまとまりのない記事になるとは思います。

校閲中、「これから職場の人に読まれるんだ...って思った瞬間、敬語口調で書いてる箇所が増えてて面白いなぁ」って笑えるくらいには頭働いています。)

 

それを分かっているので!

写真ばっかりの題材に!!します!!!

 

 

 

初めての自炊。3年ほど前の記事にて ぶり大根 の写真を記事に載せましたね!

自炊の経緯、そんなに詳しく書いてはいなかったと思いますが、以前の記事をご参照あれ。

 

あれから......

正直、初めて自炊に挑戦した頃、好きだった掃除も段々と抜けてきてしまっていたので

「料理のブームはいつまでかなぁ...」なんて、悲観的に考えていました。

 

餃子を包んでみたり。

 

里芋を煮っころがしてみたり。

 

卒業する先輩から炊飯器を譲り受けて。

6時間くらい火にかけて角煮を作ってみたり。

 

ルウを使わないシチューを作ってみたり。

かと思えば、ルウに頼りながらホワイトロールキャベツ作ってみたり。

(半玉を買っちゃったせいで非常に不格好である)

 

温玉まで自作のチー牛で白米2.5合食べてみたり。

揚げ物にも挑戦してみたり。

お正月には実家の雑煮を松江で再現してみたり。

料理本も買ってみたり。

ぶり大根よりもハンバーグの方が得意になっちゃったり。

朝食づくりにも挑戦してみたり。

しんどい日でも、雑に豚キムチは作ろうとしてみたり。

 

 

 

.........いや、めちゃめちゃ続いてるじゃん!!!!!!!!!!!!!!

 

 

ただ、三食を完璧に作っているわけではありません。

朝食は寝すぎて抜くことが多かったし、昼はインスタントのパスタや蕎麦ばっかり食べてました。それに、料理するのは学食の空いていない土日祝が中心。

毎日毎食じゃないから、楽しさいっぱいで続けられたのかなぁ...とか思ったりしています。

 

もっと大きな楽しさの要因があって。

 

他人のために作るご飯が美味ぇ!!!

 

自分だけが食べる夕飯も美味しいんだけど、どうして他人のために作ると、こんなに美味しく楽しく作れるのでしょう...?

掲載した写真の料理の内、半分以上が合唱団員・学部同期に振る舞ったもので。

 

みんな「美味しい」って言ってくれるし、空になった食器や鍋を見て、またさらに幸せな気持ちになって。

仕事のシフトや体力の都合で、社会人になってからは料理を振る舞うチャンスすら作れていないですけど、また誰かを誘って料理したいなぁって常日頃から思っています。

 

 

そして、料理以外のところに目が行った方もいることでしょう......

 

酒ばっかり飲んでんな!!!!!!

 

酔っても私には何にも変化が起きないことが、初めての飲酒で分かったので「もうお酒は飲まないだろう」って思っていたんですよ。

なのに...美味しいんだお酒が......

 

飲酒解禁日に「微妙だなぁ...」と思っていたビールは大好きになり、

「よく飲めるね!こんなツーンと来るものを!!」と思っていた日本酒も大好きになり、

「これ美味しい!一番好き!」と思っていたハイボールウイスキーを買って自分で割って作るようになり、

何より、果実酒なんてものを知ってしまって。

2.7L、5か月で亡くなってしまったよ!

大好きな杏露酒シリーズ。これはステマです。

 

酔うことには意味がないので、単純に味を求めてお酒は飲んできました。

それの説得力を、時々写っているコーラやいちごオレが増幅させていますよね。

(まぁ、本当は三ツ矢サイダー狂なんですけどね、私。)

だから、ストロング系超!人工甘味料みたいなお酒は一度っきりです。果実酒が一番美味しいんだから。

 

とはいえ、世の全員が酔ってもシラフのように過ごせるわけではなく...

 

互いに飲ませ合う空気感・下世話なトークが苦手な私は、

こうして家に招いて料理を振る舞って、互いに好きなように飲んで程々に酔う、小規模の飲み会を開くことが好みです。

みんな穏やかに酔って、少しだけぶっちゃけ話なんかもしちゃうくらいが丁度良くて。

 

”お酒が美味しい...ご飯が美味しい...話が楽しい...”

その思いに浸って家に帰る、そんな時間をつくりたいがために料理を頑張っていた大学生活でした。

 

またしたいね。

 

 

 

人間関係のトラブルがあったり、卒論や就活へのプレッシャーで大学生活がどんよりし始めたり、息抜きに遊んでも思考がそっちに戻ってしまうせいで躊躇してしまったり。

何をしても楽しくならないのに、そもそもコロナのせいで楽しいことの幅が狭くなっていて......

 

そんな中でも、美味しいご飯の味は変わらない。

美味しいご飯の温かさは変わらない。

 

どんな時でも、ごはんだけは私の味方で、少しの幸せに包んでくれるんですよね。

フレデリックっぽく言うのなら「ゴハンは笑顔で待ってるぅー

 

さすが三大欲求の一つ。恐るべし。

食欲すら無くすレベルのストレスだけは抱えないように生きてゆきたいなって、心の底から思います。

誰かと食べたら幸せドン!さらに倍!

 

 

子どもの頃は好き嫌いも多いし胃袋は極小だし、ここまで食べることは好きではなかったんだけど...

苦手を克服することって、結果として自分に返ってくるのかな。

「栄養あるんだから食べなさい!」「勿体ないでしょ!」みたいな注意を受けて、「だったら最初から用意しないでよ、そしたら捨てんで済むのに」って内心怒りながら無理やり食べてきたけど。

「食べれるようになったら、食べることがもっと楽しくなるよ」って言われていたら、少しはトライしようとしてたのかな?

それとも、栽培・飼育や調理の経験あってこそなのかな?

 

クソガキだった頃の私の思考なんて、今じゃよく分からんけど。

大学生以降という最近のことであっても、食事が好きになって良かったなって感じています。

 

 

......結論を見失ってきた。つまりは締め時。

 

大学時代、フル単や大会終了後のセルフご褒美でスイーツを買ったり、ちょっと費用がかさむ料理を作ったりして自分を労ってきた。

改めて考えてみれば、もっともっと小さい頃から、お祝いやご褒美には美味しいものが待っていた。

 

ごはんのパワーって凄い。歳を取るほど感じることで。

そして、そのパワーに支えられてきたんだなぁって、書きながら感じています。

 

そのパワーを生み出せる人に!

まだまだ料理は趣味・特技として磨き続けたいですね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯テロ?知らないよ。食後に読めば良かったじゃんね。

2022.6.22(2691字)

大学。

なんと!

約14ヶ月ぶりの更新ですって!!

 

ブログって、思考・思い出・感情が色褪せない内に書き留めるものでは...?これじゃ意味半減しません...??

と思いつつも、続けてゆきたい趣味の一つではあるので、久々に着手。

 

 

改めまして。

こんばんは。えふです。

 

 

気付けば2022年、社会人1年目、5月.........

時はあっという間に過ぎますね。何京回も言われている言葉でしょうけど。

 

現在の時刻は午前0時過ぎ、職場におります。

宿直中なのですが、寝過ごすとまずいので今こうして趣味再開に至ったわけです。

 

前回の記事は、大学3年時の定期演奏会感想。

あれから大学卒業して仕事を始めているわけなので、そりゃ当然色々ありました。

良い話としては、合唱の一般団体の方へ久しぶりに顔を出せたり、念願のオペラコンサートに参加出来たり、Apexを通じて更に人脈が広がったり、初めて料理本を買ったり、国試2つとも合格したり、児童福祉関係のお仕事へ無事に就職できたり、優秀な同期たちと少しずつ信頼しあえたり。無事に会社同期内ではいじられポジになりそうです。ぴえん。

悪い話もまぁ......

いや、置いておきましょうか......恋愛運皆無やなぁの一年だった、とだけ残しておこう。

 

ただ、本当に学びに溢れた有意義な4年間を過ごせたことは確かだし、それのおかげで今社会人として頑張って、先輩同期子どもたちと(決して上手くはないけど)関わることができていると思っています。

 

 

大学に入学するまでの私は、”大人”というものへ完璧を求めすぎていました。自分が歳を取るにつれて、その追求は自分にのしかかり、反省と自己嫌悪にまみれた日々を過ごしていたように思います。今もその傾向は若干あるけどね。

 

でも。

「ダメでも良いんだ、って自分を認める・許すことが大切」ということはその言葉だけではなくって、大学の授業でも、友人知人の生き様でも、日々大学で過ごす中で実感を持って掴めるようになってきました。

おかげさまで、努力があまり負担じゃなくなって、自己犠牲という認識も軽くなって。

おまけに、「頑張らないでください」なんて言っちゃう某法人のトップまでいるんだもん。生真面目に自分を追い詰めすぎていた昔の自分に教えてあげたいね。

 

社会福祉に携わる者、国家資格を持つ者として必要な知識も、当然沢山習得しました。

ただ、大学の本質はそこではないんだなって感じる場面に、卒業してから既に何度か出会っています。

 

 

 

他人を知ること。そして自分を知ること。

 

 

自分と他人を比較して、悩み落ち込むのも良いと思います。

他人を妬み羨ましがるのも良いと思います。

その過程で、自分が今どうやって生きていて、今後どうやって生きてゆきたいと考えているのかが、少しずつ見えてくるような気がするので。

 

加えて。

ダメな自分を認めることで、他人のできているところに「劣等感」ではなく「感謝」を抱くことができるようになれる。

自分一人じゃ世界どころか、小さな団体すら回せないんだから。

 

リーダー塾にて「私はフォロワーシップ特化型だな!」なんて自己分析をしたように、生きるためには他の人と手を取り合うことが不可欠だし、それを重視したいというのは以前から考えていたところ。

それとの相乗効果。「すぅごいねお前たちぃ!!!」

私のできないところを他の人が担ってくれるから目の前のことが進んでいるんだ、という考え方が定着してくると、他人にものすごく優しくなれます。

 

頼って生きてゆくのが当たり前なんだ、って気付けると、こうして見えてきた他人の凄さ・できるところに沿って助けを求められる。

結果として、自分がものすごく楽に生きられるようになりました。

 

楽に生きるようになると、他の人からの印象や評価が気になってしまうかもしれませんが...

正直、関わる人の表情や言葉をみるに、楽に生きるようになってもさほど変わりません。無責任な事さえしなければ、楽しちゃって良いんだと感じています。

 

「楽ってどうやってするん?」というのが、かつての私の悩み。今もそうかな。

ほんと難しくない?これ。結局ここなんだよね。全部ぶち壊しやん。

 

私が今使っている物差しは「これが長く続いても平気?」と自問自答すること。

そして、「ちょっと嫌かも」なんていう気持ちを正直に受け止めること。「ちょっと平気かも」に変わるポイントを考えてみること。

 

私の周りみんなそうしているのかもしれませんが、頑張りすぎている方はお試しあれ。

 

 

そんなこんな、疲れもある中で2時間かけて色々書き連ねましたけど。

このブログの醍醐味が「なんか大事そうな話をしているようで、結論良く分からん」だということを今思い出しました。無理やりエンディングに突入しまーす!!

 

他人を通して、自分が何者なのかを知り、その自分を認める。

その大切さに気付き、さらには多くの機会までいただけた大学生活。

「高卒で良いから稼がせてくれ!!」と言い張っていた通りにせず、大学に進んで本当に良かったなぁと思っています。

 

大学での収穫も、生き様や得手不得手のように人それぞれでしょうけど、私という一例でした。

これは、得ようと思って得たものではない。たまたま出会えた学び。

 

特に目標や理想を抱かずとも学びには出会えますが、くれぐれも見落とさぬように。

気付けば気付くだけ、きっと成長できますよ!

現役大学生、未来の後輩たち、どうか充実した大学生活を!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の宿直明、6:30~9:30勤務。おまけに16:00~21:00のシフト付き。

合間には、昼食の用意と広島往復バスチケット購入と国資登録申請をする必要があり...

 

次の夜まで生きていられるのでしょうか?

あさって早起きできるのでしょうか??

 

死亡フラグになりませんように。

 

(2339字)

カラフル。

4か月ぶりの更新となりました。

えふです。元気です!頭はパンクしそうですが。

 

先ほどボランティアの関係で市社協の方に伺ったところ、担当の方から

「LINEが変な人だったから、直接会ってちゃんとしてる人だと分かって安心した」と言われました......とっても複雑な気持ちです。

 

そんなことがありましたが、今日は心穏やかな一日を過ごしております。

 

 

2021.3.6

3回目、にして異例の"完全無観客"での定期演奏会が行われました。

まずは、その前日譚から。

 

 

3.4

お手伝いで来ていただける先輩方への謝礼品を買いに、近くの洋菓子店へ向かいました。

とってもお洒落なお店。洋菓子店へ入ったのはいつぶりだったでしょうか......

丁度良いギフトを見つけて「これを6人分用意していただけますか?」と相談。

 

「少々お時間いただきますが、よろしいでしょうか?」と返答。

 

 

そこから始まった、2名の店員さんのラッピング地獄

「お客さんが来ませんように......!!!!!」ひたすら心で唱えながら、私はラッピングをする店員さんの背中を眺めていました。

終盤になって来ちゃったんですけどね~~~\(^o^)/オワタ

 

袋詰めが終わってからも、

「大変お待たせしました!」と困り眉で対応、ドアも開けてくれました。

 

本当にしんどい。仕事だから当然なんでしょうけど、唐突に忙しくさせるのは。

 

(だから、私の目の前で先輩が中身を後輩に投げ渡していたのはややショックでした)

 

今まで、そんな背景があると意識してこなかったラッピング。

人の手間があってこそなのだと、また一つ感謝すべきことに気付いた一日でした。

 

「いえいえ!突然だったのに本当に有難うございます!!」

 

 

3.5

朝、学指揮がLINEグループにて体調不良であることを謝罪していました。

リハーサル後には、団長が進行の拙さを同グループで謝罪していました。

 

直前になって、3回生の寝坊が増えたことが本当に心配だった。

練習日に待たされた時は虚しさすら感じてしまった。

 

それでも、やっぱり同期が好きで。

 

「このままだったら過剰にピリピリしてしまう!」と感じた私は、率先して励ましのメッセージを送りました。

後に続く、皆の良い言葉。「みんなと同じ学年で良かった~😊」

 

決して相性の良くない8人。

なのに何故、ここまで協力し合い、プライベートでも飲みや旅行をしたがる集団になったのだろう?

 

本当に不思議。

この部活に入らなければ仲良くなることは無かったのだろうと思う。

 

部活が辛くなった瞬間は何度かあったけれど、

「同期に非は無いから」と、同期のために続けようと努力した時期もあります。

 

皆のために頑張って良かった。

やっぱり素敵な7人です。

 

 

3.6

朝に寄ったコンビニ。

ここでも店員さんのサービス精神にやられてしまいました。

 

マイバッグを持ちながらお釣りを受け取っていると、

「袋にお詰めしましょうか?」と手を差し出しながら尋ねられました。

 

他のコンビニで経験したことのないやりとりだったもので......

 

仕事をしている人って偉大ですね。今年度バイトをしなかった(かつ実習をした)私は心の底からそう感じました。

感謝は尽きません。

 

 

お昼、恒例の写真撮影。

ついに私も、主役の学年として写真を撮られる時が来たのね~としみじみ。

OBのかまし愛のあるガヤに負け、やや照れが入りましたが、まあ。

 

個人的にはパート別写真が一番グッときました。

今回のBass、

なんと平均年齢が22.3歳!!!!!!

おじさん達の変わらない顔ぶれ。というか平均とったら毎年Bassが長老なのでは???

でも、当たり前のようにいてくれた院2回生の2名は、今年で本当に最後。

 

はしゃいだ写真をしっかり残し、あとは演奏を楽しむだけだ!!!

そう意気込んだ本番前でした。

 

 

 

やっっっっと、演奏会の話へと突入します。

ここまで約1500字。ぎゃー。

 

 

開演の指パッチン担当の私。

止まらなくなる☆TE☆A☆SE☆

カラオケでは調子に乗ってしまくっている指パッチンが、こんなにも怖いものだとは。

(ちなみに、昨年度のボランティアコンサートにて、一度スカってやり直しをした悪夢があります。そのためもあって、緊張感がピークでした。)

 

予ベルが鳴るまでの間、入念に練習をし、を拭きとり、また鳴らし......

自信を得られないまま、入場。

 

 

(左手を挙げて)「はじめたいでしょ~?」
「うん、歌いたーい!」
「行きますよー!」
「はい!」
「せーのっ!」(ここで3回連続の指パッチンの音、SEの可能性は無い)
「あぁ~!ユビの音ォ〜!!」

 

 

完璧な導入!!!!!

やったぜ!!!!!!!!!!

 

ゲネプロでは上手くいかなかった立ち位置変更もこなし、

いよいよ1st Stage

 

1曲目、ゲネプロから表情が浮かない(ように感じていた)指揮者に、なんとか笑顔を伝播させようと表情筋を使って歌いました。

 

なんか、みんな、上手くね......??

 

まるで、私と同じ考えを持っていたかのように、今までになく気合の感じられる歌声のみんな。「お前ら最高だな!!!」の一心で、1曲目を走り抜けました。

終わった頃には、指揮者の表情もなんだか柔らかくなっていたような。

 

2曲目、3曲目は同期の指揮。

伸び伸びとした指揮、楽しげな表情。

体調不良を隠すのが上手。本来それは褒めるべきことではないんだけど、おかげで歌い手として勇気づけられたのは間違いなく。

 

そして、歌い手の一体感の増し方が凄まじい。歌っていて最高に楽しかった。

翌日に聴いた1stは、どの曲よりも涙を誘うものになっていました。

 

 

指パッチンを成功させたのに、緊張は解くことができませんでした。

なんせ、2nd Stageはアンサンブルだったので。

 

「ちゃんとアイコンタクトしあおうな!」裏で念押ししあって挑んだステージ。

素敵な7人との演奏。

各パートでめちゃめちゃアイコンタクトしてる!微笑みあってる!

私もバリトンと向き合お......君めっちゃ真っ直ぐ歌うじゃん!!寂しい!!

こっち見て―!どやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 

けっこう動揺していました。バッチリ上ずった音に反映されちゃっているし。

同期とのステージは、波乱の多いものとなりました。

 

 

3rd Stage、潰えたコンクールの自由曲を初披露。

指揮の先生の楽しそうな表情。いつもの。

1stで全力をだしていたはずの皆の底力。

練習を始めた当初は「この曲もいつか楽しく歌えるんかな?」と不安でしたが、ちゃんと楽しく歌えました。

 

 

無事に走り切った。足がぷるぷるしてきた。でもあと2曲で終わるんだ!

 

 

アンコール1曲目。

歌詞がずるい。

今まで仲良くやってきた3回生のみんな。

当たり前のようにLow Bassを支えてくれた先輩たち。

「当たり前が幸せだと知った。」

 

本番絶対泣くやつやん!!と計画段階から思っていたので、何とか涙は堪えて歌い切りました。

でも音源聴いたら音圧弱くなってましたね。みんな泣いてたのかな...?

 

 

そして、指揮の先生の言葉

 

 

毎年、先生の最後の挨拶は震え声でした。でも私は「あぁ先生も感動している、本当に良い時間を過ごさせてもらっているな」と、感動するよりも胸をさらに張る機会になっているだけでした。去年は泣いちゃいましたが。

 

 

 

 

 

......先生?話しだすまでの時間が長くないですか?

 

そう気づいた瞬間、堪えていた涙が少し溢れてしまって。

 

「大学生が一番辛い思いをしてきた」

この1年間の思い出したくもない灰色な時間が、どんどん蘇ってきて。

 

「誰よりも人思いになるだろう」

これまでの行いが認められた気持ちになって。

 

「観客は未来の人なんだ」

これまでのコンクール・定期演奏会の光景が重なって。

 

「本物の演奏会」

これまでの演奏に意味が付き始め。

 

 

 

「3回生に拍手を送りませんか?」

ここで、私の理性は限界を迎えました。

 

ここまで拍手の無かった演奏会。

緑水たゆたふ、団長挨拶、きみ歌えよ、副学生指揮者、学生指揮者挨拶、こころようたえ、くちびるに歌を、伴奏の先輩、2stのMC、伴奏の後輩、ほらね、、ここから始まる、アンサンブル演者としての3回生、3stのMC、浜崎先生、若さのイメージ、願い 一少女のプラカード、空に小鳥がいなくなった日、花束贈呈、アンコールのMC、群青、

こんなに拍手のタイミングがあった定期演奏会なのに。

 

最初の拍手が、

定期演奏会の開催に尽力した3回生に向けられたもの、

私たちに向けられたもの、

私に向けられたもの、

 

本当にそれで良いのか。

 

感謝に押しつぶされ、私はその後の先生の言葉を聞くことができず、なんなら正面を向くことすらできず、ただただ情けない顔になるばかりでした。

 

 

2曲目のアンコール「夢見たものは」

歌えませんでした。しかも鼻をすする音を鳴らしまくり終演。

 

 

袖に戻ってすぐ、ハンカチを取り出して奥で思い切り泣きました。

声をかけてくれた後輩の震えた声を聞いて、「あぁ彼ですら理性を崩壊させたんだ」と思ったのは内緒の話。

 

 

約3600字。ここで小休憩をとらせていただきます。

打ち込みながらも、また泣きそうです。学研には人がそれなりにいるので、頑張って堪えます。

URL貼っておきますので、休憩にぜひ。

https://www.youtube.com/watch?v=j93itlToQO8&list=PLxLykXxQlZzV7vMBjO7Qr16DN_gTRFMP7

 

 

 

 

続き。

 

今回の演奏会でまとめたいことは3つ。

 

 

1.幸福と愛がひとつどころじゃなかった。

前日譚の話だけじゃないのです。3回生の結束力だけじゃないのです。

 

大学の返事も連絡も遅すぎて、後輩や先輩を振り回しまくったはずなのに皆ついてきてくれました。

個人的に、後輩の悩みや文句を何度も耳にしてきました。でも「辞めたい」ではなく「どうしたら良いか」「こうしてほしい」という前向きなものが根底にありました。

 

定期演奏会が無事に開催できたのは、間違いなく彼らの功績です。

3回生である私たちだけでは不可能だった。

 

夢見たもの、願ったものは「定期演奏会が無事に開催できますように」たった一つだったはずが、気付けばたくさんの幸福と愛に包まれた空間が創られていました。

 

 

2.記憶に残る演奏会って、きっとこういうものだ。

2stで歌詞を間違えたり、音がずっと上ずっていたり、最後なんかは鼻をズビズビいわせてしまったり。

これがコンクールだったら、戦犯どころじゃ済まない足の引っ張り方をしました。

 

でも、これは満身創痍の証なのです。

運営を始めた当初から苦しかったけれど、それでも全力で、全神経を使ってやってきた。

指揮者の先生のパンフレット挨拶文に書かれていた日のことは鮮明に覚えています。

なんだったら、春に幹部だけで先生と顔合わせしたことも。

 

外で先生を出迎えると「元気だった~??」と、いつものテンションの先生。

私視点だと、先生の書かれていることは逆です。

先生が笑顔で研修室へ来ていただいたから、笑顔をお返しした。

 

「大学は色々言ってくるし、急に制限をかけてくる。どうしたら良いっていうんだ...」と頭を抱えていた3回生は、先生の笑顔と燃え続けている熱意を受け取って、やっぱり頑張らなきゃ!って思ったはずです。私はそうでした。

それから3月まで必死にもがき続けました。

 

演奏を聴くだけで、ステージに立っていた時の感覚だけじゃなく、閉塞感に満ちた準備期間のことまでもが思い出される。

戦犯を超える足の引っ張り、技術的にはよろしくない演奏だったかもしれないけれど、きっと来年以降に聴いても、これまでのことを思い出せると確信しています。

 

そして、先輩も後輩も先生も涙していた。

きっとステージ上にいた全員が同じ気持ちを抱けると思っていますが、いかがでしょうか?

 

 

3.感情って素敵なものだ。

私は感情的に行動することが嫌で、とにかく理性的であろうと心がけています。

でも、幼稚園児だった頃に転んだ痛みで泣いた時くらいの涙を流しました。

 

に満ちていた。

 

先輩との最後の演奏という哀しみ

直前の危機感という怒りあと解散後の学指揮との口喧嘩。うるせぇハゲって言われた。

ステージの響きを感じたことでの楽しさ

初ステージどころか、団として初めてのイベントとなった定期演奏会開催への喜び

 

哀しみがあるから喜びを感じられて、

怒りがあるから楽しみを大切にできる。

 

カラフルな団員との、色彩豊かな演奏会。

 

これまでの灰色だった1年間を華やかに彩ってくれた。

立場上は演奏会を開催した運営側の人間ではありますが、

この舞台に立てたことを、誇りに思います。

 

 

みなさん、本当にありがとうございました。

私は、とってもとっても、幸せです。

 

歌い納めも楽しみます(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事ではなくサークル活動として歌っている私たちは、メンバーの違いを楽しむことが必須だろうと、ステージの度に思います。

特定のメンバーによる合唱の質・空気感を完璧だと思う瞬間があるかもしれないけれど、その瞬間にしかできない音がそこに響くのです。

2stの演奏が1st,3stの下位互換だとは誰も思わないようにね。

 

出会ってくれてありがとう。肩を並べてくれてありがとう。

 

起きてくれてありがとうね。ほんと。早く自立してな。

 

(5304字)

褒める。

......

 

 

...........

 

 

......................

 

 

 

 

.............................死んでないですよ?

 

 

前回の更新が、どうやら4ヶ月半前のようで......

前回はスマホから送ってみて「なんて煩わしい!!」となったので、仕方がないと言えばそうなんですけどね(^_^;)

 

 

改めまして。えふです。

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

部室という名の家大学の出入りが多少は可能となったことに加えて、空きコマが多いので久々に更新しようかな~という思いつきです。

ちゃんとしたブログではないので、これくらいで良いのです。

 

4つ前くらいの記事に「今後ネタにしたいリスト」みたいなのを付けたのですが......今更な項目も多くって、ほぼほぼボツになりそう

(絶対記事にするね!!って書いたSW演習の話はなんとかして書きたい。

卒業の時期にでもね!)

 

日記としてこのブログを活用したいな~とか言っていた回もあったから、本当は毎週くらいの頻度で更新したかったんだけど、

 

スマホじゃやっぱりしんどい......

WiFi通していない家に住んでるからPCも使えない......

そもそも、オンライン講義が精神的に重たすぎてそれどころじゃない......

 

なんやかんやで、こんなに間が空いてしまいました。

 

「ブログ更新しよう!!」って宣言(独り言)した直後に、良い一日が訪れたのでこうして更新にありつけております。

どーせ長ったらしく書き連ねますが、

時間と心に余裕のある方は、まぁ読んでやってくださいな。

 

 

11/16 本当に素敵な一日になりました。

 

この週から月曜日の履修は5コマのみとなったため、朝ゆっくり寝られて

お昼ご飯を食べていたら、サークルのレアな先輩2名とお逢いできて。

 

https://pbs.twimg.com/media/Em6wjvEVEAAQGzA?format=jpg&name=medium

その後に「初音ミクの激唱」およびEXTREME全曲無事にクリアしまして。

 

そして一番強烈だった出来事。

5コマの時間に先生から突然、個別で「事例への向き合い方がとても丁寧で良い」褒められて

有頂天のまま臨んだ部活は非常に楽しくて。

夕飯のラーメンと唐揚げがとっても美味しくて

同期が車で送迎してくれて。

風呂上がりのホットココアは裏切らなくて。

ココア飲みながら観た「ひなあい」最新回は推しが大活躍で。

 

心も体もぽかぽかする、本当に良い時間でした(´▽`*)

執筆しているだけで蘇ってくる。

 

この一日を通して感じたことが2つ。

 

 

1つ。

 

やっぱり、褒められたら嬉しいものですね!!!!!

 

先日の講義「SST(Social Skill Training)をやってみよう!」、同期の女子を私が褒めるというパターンの際にめちゃめちゃ照れてしまいまして...あんまりうまくできませんでした。

(でもさ!!あれは仕方ないよね!!!!!

何もないところから褒めてって言われたら、誰でも恥ずかしさ感じません???

執筆しているだけで蘇ってくる。)

 

先生に褒められた私、本当に言葉にできない嬉しさを抱きました。

考えすぎるという弱点はあるものの、取り組む姿勢としては間違っていないんだな。

安心もしました。

 

褒める」の力って凄いなぁ。

心からそう感じた。SSTのテーマに挙げられるわけですわ。

 

講義の状況は仕方なかったとはいえ、なんか勿体なかったな...と、少々反省までしました。

 

「挨拶と称賛に恥ずかしさを感じてはいけない!!」

私の教訓が、また一つ増えました。

 

教える立場・お世話する立場だと、少しは技能として備わってきたかな~と自分では思っているけれど、私生活での技能としてはまだまだ微弱。

のびしろたっぷり!頑張りがいがあります(o^_^o)

 

褒める」の力の影響って、褒められたことに限定されないのも不思議ですよね......

先生は部活時の私を褒めたわけじゃないのに、分奏で前に立った時に聴いたみんなの歌声も、聴きこぼし少なく拾えたような気がしました。

「あんな人になりてぇ!!!」と口にした直後なのもあって、その意識が強かったのでしょうか?私も、皆の演奏で褒められる所をたくさん発見して伝えられたように感じています。

 

好循環.....こういうことか。

 

でも、この日の好循環はそこで留まるものではなかったんです。

 

 

ここで、もう1つ。

 

ありふれた幸せ、ちゃんと見つけられてる!!!!!

 

私のLINEひとことに、結構前から設定しているポエムがあるんです。

 

「大きなものを求めずとも  日常には幸せが溢れてる

 どう創るか、どう増やすかではなく  どこまで気付けるか」

 

とある後輩「ひとことの言葉、先輩が考えられたんですか?」

 

無邪気な槍といいますか...こっぱずかしいですね......(///_ ///)

そうです!自作のイッタ~イポエムですよ!!!

 

指しているものは、いつかに書き連ねた「認知されるだけで幸せ」です。

着想は"ef"最終回のED。本編は観たことないけれど、たまたまEDをYouTubeで発見して、途中の言葉に心を打たれて保存していました。

https://www.youtube.com/watch?v=sIaITwuoA0A

 

自分の人生と重ねて「そうだよなぁ」と。

 

ゆっくり寝られることも、ご飯が美味しいことも、部活や学部でお喋りできる・共通体験ができる人がいることも、推しがいることも。

どれも私の幸せ、だけど必ずと言っていいほど獲得できちゃうから見落としがち

 

こんな幸せが常に取り巻いているから、私は今日も生きられているのです。

 

そんな見落としがちな幸せを、ちゃんと認識する事ができた。

心を温めておくこと余裕を獲得しておくことって、本当に大切ですね。

 

執筆している今日11/17はというと......

 

ゼミはめちゃめちゃ楽しかった!!

法人創設の話なんかしちゃって!夢膨らみすぎ!!児童クラブに生涯捧げたい!!!

そんな燃えるゼミになりましたが......

 

なぜか就寝3時間後にバッチリ眼が冴えてしまって、2コマは瀕死

ついさっき雨が降り出したせいで洗濯物( ´Д`)ノ~バイバイ

 

絶好調!という日にはなりませんでしたね......

 

まあそんなもんでしょう。毎日べりーはっぴー!は難しい。

だからこそ、日々の幸せをしっかり認識して記憶に刻んでおくことは必要になると思うんですよ。

「毎日不幸だ」って思わなくて済みますから。

 

「今日はあの時みたいなべりーはっぴー!な一日になれば良いな~」って、また明日も始めていきたいな!!

 

...そう思いながら巡る日々は、なんだか色彩豊かになる気がするのです。

ここ最近は「報われないなあ」と感じることがややありまして。

「頑張り始めた矢先にそれは......」とか「頑張ってるのに否定されたみたいだ」とか。

 

周りが私の努力に、

気付いているのかどうなのか、認めてくれているのかどうなのか。

 

それは私にはわかり得ませんけど、

少なくとも私自身は「頑張っている」って思っているなぁ...と、冷静になると感じたんです。

 

 

自分を一番褒められるのは自分では......?

 

今まで自分のことを追い詰めてばかりいました。

現状に慢心したくはないし、反省を無かったことにはしたくないしで。

そう思うことを否定はできないんだけど。

ねぎらって何かするくらいは、した方が良いんじゃないか...?

 

少しだけ、自分に優しくなれた気がします。甘えになりませんように。

 

頑張り続けるためにも、褒めの自己補給をしてみようかなって、思った数日間でした。

その第一歩は、安心と信頼のホットココアですかね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に更新してみて、改めて言葉にするのって良いなぁとしみじみ。

そして、部室に残ってブログを書くという謎の時間を過ごすのが本当に懐かしい。

 

家に籠ってばかりになった今年度。

実習とゼミがぶっちぎりで充実した時間となっていますが、

他の授業・部活・交友・課外活動......充実させられると良いな。

 

そのために、まずは自他をしっかり褒めるところから。

直近は明後日の部活動かな?たっぷり褒めたい。お互いに褒めさせたい。

良い流れは、やっぱり人を巻き込まないとね!!

 

(3321字)

有能。

 めちゃめちゃ打ち込みづらい!!!!!

 

スマホからお送りしてみております。約4ヶ月ぶりのえふでございます。

もし上手くいくようであれば継続できるかな!と思ったけど……

やっぱりPCが使えないと厳しいです(-_-;)

スマホからいつもの文量をお届けするのは最初で最後かなぁ。

 

 

なんでスマホから、わざわざ更新しようかと思ったのか。

それは、このツイートにモヤモヤし続けて嫌になってきたから。

 

 (このアカウント、元は2018年度新入生向け垢だったんですよ。じゃないとこんな変なのフォローしませんし。今となっては乗っ取り?って心配しています。でも、そんなに呟かないし、大学イメージダウンの魔の手説は弱そうだな……と思ってます。)

 

色々突っ込みどころがあって。

それぞれ吐き捨ててスッキリしたいだけの、自己満足コーナーです。

 

覚悟してお読みください。

 

 

 

 

それでは。

 

・「大学の対応が無能だと嘆く」

これに関しては、嘆くべきだと思うんです。この間ゼミの先生とお話ししましたが、私たちは「自分に少しでも非があることについては文句として言ってはいけない」って考えが強いような気がしています。

職員は職員の都合があるし、一緒に講義を受けているわけでもないし、学費を払っているわけでもないんです。

そりゃ、学生と違う景色を見ていて当然。であれば、私たちの声は文句っぽくても良いから発信すべきだと思うんです。

それを改善すべき共通の課題であると捉えるかどうかは大学次第。そこまで進めることは悪いことじゃないと思います。

でもね。

「何が無能だと思うか」っていうことと「大学はきっとこう思ってやってることなんだ」って考察することは前提になると思うんです。

私も「決定がおそーい!!」って言うけど、考えてみれば「好転してくれたら早く普段通りに戻す方が皆にとって良いだろう」って私だって考える。そう思えたら、ギリギリまで待ってあげる余裕が私に生まれるわけです。警戒重視の決定をしてくれても、私はむしろ嬉しいんだけどね。

今後アンケートが来たらいっぱい書きましょうね。

 

・「君も有能だったら良かったのにね」

チョットナニイッテルカワカンナイ。

 

報◯ステー◯ョンに出演して、全文・全編目を通していないことが明らかな発言で政権批判をしていた東大教授を私は知っている。

高卒だけど社交性・マナーバッチリでバリバリ働く2児のシングルマザーを私は知っている。

 

有能か無能かなんて、学歴じゃ見えないよねっていうのは私の実感です。

ついでに言うと、某有名私立大のヤリサーが集団泥酔する事があったり、個人的にも性犯罪を繰り返したり。どうしようもない輩はどこにだっているんですよ。偏差値が高いからって社会性に富んでいるとは限りません。

そう学んできた私は、進学クラスにいたからこそ有名国立大を第1志望に掲げてはいましたが、「したい学問ができるところに進む」ことが最重要項目になっていました。

みんなはどうですか?

 

大学は学問するところなので、高校までの評価とはガラッと変わる。それは随分と前から知っていたことです。

前もって言いますが、学歴フィルターはちょっと私たちの射程範囲外なので放置させてもらいます……

有能かどうかっていうのは問題の正答率だけで言えるものではないです。思考力、行動力、共感力……色んな面で判断できます。

島大のことを「偏差値の低い国立大」だと自分で見下しているのは本当に勿体ない。というか、入学以降もまだ偏差値のこと言ってるの?だったら偏差値高いところに編入する努力をしてみたらどうだい??としかいいようがないと思う。(テンプレ)

どれだけ自分が努力して、したいことを見つけ、自分の果たせる役割を目指し掴むか

それに全て懸かっていると私は思いますよ。

卒業してみなきゃ「レベルの低いところだった」って言えないと思う。その発言も、果たして大学をぐちゃぐちゃになるレベルで踏み台にして自分が跳躍してきた結果ですか?って尋ねたいですが。

 

でも、このツイートの発信者を理解しようとすれば、きっと学歴重視する空気に包まれて生きてきたから、それ以外に「有能」だと感じる要素が存在していないのではないかと。

他人事のようにバカにできる話でもない可能性はあります。

 

私は「計画性のない健常者」をとことん嫌う傾向にある。主に兄のせいで。

そこに「失業に関する無知」が重なって「ホームレスへの偏見」が出来上がっていた。

 

先日のゼミでそう気付いたんです。

知らない世界のことを考えるというのは不可能に等しいし、逆に私たちの様々な価値観は認知しうる範囲の事象で形作られる。

 

虐待、どうですか?「愛情のない親だ!育てるつもりがないなら産むな!」って思いませんか?

その時、親の社会的な孤立、会社などの周囲への後ろめたさ、産後うつ、親が被虐待経験のある人だった、……そんなことを考えたことはありますか?

 

障害者、どうですか?「何するかわかんない!普通のことすらできない!」って思いませんか?

仮に学校などで障害者と関わったことでそう思ったとしても、その子が得意なことを皆が考えようと一切せず、追い詰めてしまう環境だったかもしれないと考えたことはありますか?

 

福祉分野からはこういった例が挙げられます。でも、日常的に考えても他に沢山あるはず。

自分が狭い世界で生きることがどれだけ恐ろしいことか。私は中学生の頃から毎日痛感しながら生きている。そう思って生きていても、固定観念になっていると覆しようがないんです。それが本当に恐ろしい。

教えてもらわなきゃ気付けないことって沢山あります。

 

多くの本を読んでほしい。

多くの人の言葉を聞いてほしい。

多くの人と会話をしてほしい。

 

まだまだ自由な活動とはいきませんが、できることは徐々に増えてきました。

みんなで見識を広げていけると良いな(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張りました。

 

「ステキー!」って自分のブログに対して言いたくはないので今回は削除で。

(2521字) 

最後。

 ほんっとうに!!!!!

 

更新ペースが!!!!!!!!

 

 

上がりません!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

本当にピンチだよ!!

部室閉まったおかげで、今日みたいな日にしかチャンスが無いというね......

 

 

今日は福岡の実家からお送りしておりますよ~

 

昨夜のごはんはトンテキでした(*´∇`*)

実家のごはんが本当に美味しい......

週末は頑張って色々な料理に挑戦していますが、お肉を焼くことってあんまりしてないなぁ~と。

値引きシールを貼られた魚は、一人で食べるには割高なお肉より輝いて見えちゃって...それで、鯖だの鰤だのをよく食べちゃうんですよね。

角煮もいつかチャレンジしよう!って言ったっきりできてないし...

料理欲は高まるばかりですね!!

 

 

それは良いとして、

なんで今日ブログに取り組もうとしたかといいますと、先日の定期演奏会について色々と書きたい!と思ったからで。

 

ついに部室も閉鎖、「追いコンと演奏会は自粛してね!」で済んでいたサークル活動は全面禁止されるくらいにコロナの影響を受けてしまっています(´_`。)

実行委員をしているボランティア活動も延期決定。

もし早々と島根県内に発症者が出ていたら、デイサービスでのインターンも確実に中止だったことでしょう......。

 

そのため、定期演奏会は無観客の中で行われました。

URL:https://www.youtube.com/watch?v=4VBrrjtIUgU&list=PLxLykXxQlZzVv5_ybDMLcxy0qUTsou6hP

 

一番言いたいことの前に、まずは演奏の話をしようかな。

 

 

1st、私は皆に裏切られた。

 

なんなの?本番になって急に演技力・抑揚・声量にブーストかかるって。

あんなにできるのに、なんで練習で隠しちゃったりしたの??(練習で手を抜いてたな?って言いたいわけじゃないよ?けど、プラバの魔法だけじゃない気がするんだよ...)

練習の時から、できることは尽くしていたつもりだったけど、みんなの声を聞いていたら「まだまだやれたんじゃないかな...」って悔しくなったくらい。

 

演奏中にそう感じたんだもん。ちゃんと見返したらそりゃ感動するって。

 

しっかり世界観が感じられるステージでしたね!

某理事長の先生は、よく声が通り、演者それぞれの個性がしっかり表れていて良い意味での大学らしさに満ちたステージだったと仰っていました。

私個人の話をすると、私はセリフのない役でしたが、指揮の先生から「釘付けだった」と褒めていただき有頂天でした。未だに嬉しさは冷めてないですもの。

伴奏の先生には歌声を褒めていただけたし...とっても暖かな気持ちを皆さんからいただきました♪(´▽`*)

 

1stやりきった後の爽快感、高まりすぎて良くないレベルすれすれでした...(^_^;)

ネクタイを替えコートを控室に置くだけで更衣が終わる私は、皆さんの更衣が終わるのを袖で待ちながら「あれ?1stの皆はどこに行ったんだろう?」などと調子に乗っていました。すみませんでした。

 

まあでも、3stの曲を早いうちから暗譜していた私にとっては、まだ記憶が定着していなかった1stの方が不安いっぱいだったので......。

1stをとっても楽しく良い気持ちで閉じられたことへの安心感はそれほど強かったのです。

 

とはいえゲネプロ後の練習にて過呼吸で倒れかけた3st、油断はできない状況でした。

 

 

その3st、私的には良い感じでしたけどどう思いました...?toしまこんメンバー

昨年度の定演でも思ったことですが、ただ演奏回数からし

合唱祭<大会<定演 と巧くなるといったほど単純なものではなく、

目的意識、そしてメンバーの違いによって生まれる音色の違い一番の面白さだな~って私はいつも思うんです。

 

県大会にて初披露となった「光」と「地」

広島の舞台にぶつけた「光」と「地」(この時の男声は各パート1人でしたね)

そして今年度最後、プラバでの「光」と「地」

 

県大会と中国大会は微妙だけど、完全に同じ土俵で比べることってできないと思うんです。

それぞれの条件下でしか鳴らすことのできない音がある気がして。

(ひょっとして、この話以前にしてるかな...?)

 

 

中国大会でも、最悪のコンディションながら全力発揮したはず。

でも、定演の全力発揮、そこで得られる清々しさは大会とは一味違うような。

 

「渇き」「ふるさとの星」初披露の2曲。

エネルギーたっぷり。すごかった。語彙を失う。

 

確かに拍ミスはあったかもしれないし、1週間切った後の練習の方が上手かったかもしれない。

それでも、この詩と音を、あの熱量でステージに届けられたことが最も大事で。

肩の力を抜くことに気力を注ぎ歌っていたので、楽しむ余裕も少しは掴めましたし!

 

やっぱり良いなぁ......それ一心ですかね。

 

 

 

さて、感想の投げつけはこれくらいにして。

 

私が今回の定演で心に刻み付けたのは二つ。

 

 

一つは、指揮の先生が挨拶にて仰った「奇跡の演奏会

 

もう一つはチェロの方が仰った「これが学生としては最後の演奏

 

 

奇跡の演奏会」という話を聞いた時、漠然とした不安があったんです。

 

演奏すらさせてもらえない日が来るんじゃないか?

新入生に演奏披露することも許されないんじゃないか?

合唱祭は出られるの?大会は?

収束しなければ来年の定演は......?

 

私たちの代では、何も歌わせてもらえないのかな.....??

 

何一つ答えの分からない疑問に埋もれ、アンコールでは泣いちゃいました。

これが最後かもしれないのなら、この感覚を刻まなきゃ。

 

私にとっては、これが最後かどうかは不確定。

でも、チェロの方は最後だって分かった上で演奏されていた。

他の演奏会は自粛中止の発表、先に控えていたものがなくなった結果、この定演がラストステージになったと。

 

演者の「最後」、どれだけ重みのある事なのか。

それを痛みで知った定期演奏会になったと感じています。

 

幹部代の先輩方、様々悩まれたとは思いますが

開催していただき、本当に有難うございました。

 

 

 

日頃から悔いないように、を心がけて生きていたつもりだったけれど、まだまだ足りないみたい。

あらゆることが中止となり、掴めない程に距離が空いて初めて気付けた。

 

まだ冬眠を迫られている。いつまで続くのかな.......

 

分からないけれど、冬眠中でもできることがあるのなら今のうちに。

続けられることは、その一回一回を噛みしめて。

再開を許された時には、その楽しさに全身で浸かる。

次があることに甘えない。

 

 

いつ死ぬか分からない、なんて考えるのは流石に大袈裟すぎるけれど。

 

それでも、今、こうしていられる時間は二度と来ないなんて思えたら、大切な出来事・記憶・経験になって、自身の力に結び付くと思う。きっと。

 

 

どうしても暗い話ばかりになっちゃうね。

無理に明るい話だけするのも違うと私は思うから、これで良いんだけど。

 

 

また自由になったら、全身全霊で楽しんでやる(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不穏なタイトルだけど、ブログは最後じゃないので。

またネット環境に降り立った時には更新しますよ。

 

(2825字)