えふの呟きLong

不定期についーとするだけのページ。

あっさり。

良い天気だったはずが、ちょっと曇ってきましたね......。

 

そろそろ梅雨に入るのでしょうか...

 

 

 

寝ます。

 

 

この季節が本当に憂鬱...

 

蒸し暑さで睡魔。空気の悪さで睡魔

汗が蒸発しないから身体を冷やす体調崩す。からのクーラー。追い打ち。

 

 

どうやったら打ち勝てるのでしょうか...?

 

とにかく、カラッとした暑い日が早く訪れることを祈ります。

 

 

 

 

(165字)

 

こんな短文もたまにはね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

真?偽?

先週の土日は赤ちゃんポストに関する本など、書籍3冊読んで書評をして徹夜。

 

火曜日は英語の課題を総片付けして4時。

 

昨夜は学部の友人とスマブラをして7時前に就寝。

 

今夜は......なんでこんな時間(4:00)まで起きているのでしょう?( ̄ー ̄;

というか、なぜ帰っていないのでしょう???

 

 

一応、オンデマンド講義のために来たんですよ。

ちゃんとノルマまではやったんです、夜23時の段階で。

締め切りは3週間後だし、取りかかり早すぎるんですそもそもが。

 

「やること終わるまで帰らない」という縛りのない夜を、こんなにも待ち望んでいたのか...

自分で恐ろしく感じます。

 

 

楽しい夜更かしは精神的には休息だって言える。

久々のスマブラめっちゃ楽しかったし、部室でお喋りする時間も幸せです(*´∇`*)

 

その反面、私を苦しめるのが寝不足によるポンコツ・変人覚醒

 

合宿でも言いましたが、私は本当に「寝過ごす」経験がないんです...

酷く疲れているときでも、たまにアラーム5分前に起きたりするくらい。鳴るまで寝たいんじゃ!

 

寝過ごしちゃうって形で寝不足が現れる人が多いのかな...?

私の場合、日中の居眠りもありますが...

ほんっとに、ポンコツ以外の要素が寝ちゃうんです。

頼むから起きてくれ!!!

 

覚えているものだけでも挙げるなら...

 

「そうなんや」→「そうなにゃ」という誤字、そのまま送信。

「島根だいふく」という夢のコラボレーション。

朝食にて「ライス・味噌汁・白身魚のフライ・鯖の味噌煮」という魚onlyの献立でレジまで行っちゃう。

受講票のコース名にも、福祉社会って書いたつもりが本名を書いていたり。

「朝起きたら昼だった」という哲学。

課題曲の練習中、ベースは休符なのにテナー歌っちゃったり。

0時のツイート「日が変わった、明日も頑張ろう」???

崖の上のポニョ」サビで自己紹介できる歌詞を突発的に作る。しばらくヘッダーにしてました。

「寝る寝る寝る寝。」

 

などなどなどなどなど。

 

はぁ。

 

 

逞しく生きていくために必要な恥だと思えば...

 

私は、

こんなはずじゃない!!!

ちゃんと寝ないと、いつもの調子が出せない!!!」って思っちゃうんですよ。

 

けれど、高校時代の私を知ってる人だったら、半分くらいは「いつも通りじゃん」って思うと確信してる。

 

このブログを読んでくれている人は、ほぼリアルでお世話になっているでしょう。

どうですか?

私のことを「しっかり者、クール(起伏が無いという意味で)」だと思っていますか??

それとも「ポンコツ、変人」だと思っていますか??

 

ちょっとだけ、それが気になったりします。

 

普段は冷静に、理性的に、常にいろいろ考えてる。

ここ最近のブログの内容もあって、前者に当てはまる人だったらさらにその印象が強くなっちゃったのでは?

 

けどね。

「そうやって本性を隠してる」って思われても仕方ないくらい、私は変わっているんですよ......。

まして、部活動でしか関わらない人には、しっかりした姿を見せる機会がない!!!

\(^o^)/オワタ って感じになりますね。変人確定。

 

 

...ここまで書いてる間に気付いたことがあって。

今更かもしれないんだけどね。

 

この2つって、排反しているようで、排反してないよね...?

 

つまり、多少割合が変動することはあっても、両方あって私

排反してしまっては私じゃなくなるのでは...?

 

ポンコツに対する焦燥感や抵抗感が少し和らいだ気がします。

謎の自己完結......ごめんなさい。

 

片方の印象が大きく占めている、という方。

ぜひ、私のもう一つの要素も見つけてください。

でないとね、勝手にガッカリされても困りますから...

 

まぁでも、今はまだ他人に迷惑かけるポンコツは少なく済んでるから。

今のうちに、愛されるポンコツ成分だけ残せるように頑張ります(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

愛されるポンコツ...前にどこかで言ったような......

 

 

 

 

ちなみに。

スマブラでは「おまかせ」を一番使います。対策取られたくないので。

得意キャラ上位はダックハントパックマン、デデデ、パルテナあたりでしょうか。

 

 

(1665字)

生きて。

 

 

(今回で闇がピークを迎えます。きっとね。

誰でも読める場でこんな話をするのは恥ずかしいです...

けれど、これは某サマースクール書類選考のうちの課題作文にて書いた話です。

私が選考を通ったということは、それを乗り越えることが他人の目から見てすぐれていることだと認められた。私はそう思っています。

 

だから書きます。

ジブンガタリの要素が濃い今回のブログですが、「こんな人間もいるんだぁ」程度に流していただけると有難いです。自慢話でも、悲劇の主人公気取りでもないのでね。)

 

 

 

 

 

 

ひとまず、課題の波を乗り越えました!!!!!!

モラトリアム満喫中えふでございます(*´▽`*)

今日はしっかり休めそうで嬉しい

 

この和むはずの時間に、こんな重っっったい話でいいのでしょうか...(^_^;)

 

今までのブログの中で

「認知」「寛容」「半イジメ」そして、「自分のための人生を終えている」

気付けば、避けようとしていた話のパーツは揃ってしまっていてね...

もう隠す必要もないか!!って気になりました。勝手に...(笑)

 

長ったらしい昔話です。よろしければお付き合いください。

 

 

~~~~~~~~~~

 

小学4年生が始まった頃から、いじめっ子グループは私に目を付けはじめ、例の"ダル絡み"を始めた。暴力はそう多くないけれど、泣き虫だった私は頻繁にからかいを受けたり物を盗られたり。それに対して反抗・泣き出し・救援などをすると、その行為に対し更にからかわれる。

何とか耐え続けていたものの、6年生の頃の担任も(たまたまだが)似たいじり方をしてしまったことで、学校内に救いは無いのだと悲観。その時見ていたとあるドラマで、四肢を縛りプールで自殺を図るシーンを見て「これなら簡単に死ねそうだな...」と決心。ビニール紐やらガムテープやらを買い揃えて「あと〇日で...」と本気で待機。

そう身構えていたある日、掃除時間中に隙を見つけて声をかけたクラスの女子がひとり。

「苦しんでいるのは知ってる。みんなどうにかしたいって思ってるから、辛かったら私に相談してね。」と励ましてくれた。

「まだ期待してみようかな...」そうして、死ぬタイミングをズルズル先延ばしにして、気付けば中学校に入学してしまっていた。

 

 

~~~~~~~~~~

 

はい、良い感じに簡略化できました!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

きっとそんなに重く感じなかったでしょ?詳細避けましたもの。

 

けれど、本題はここからなのです...

 

 

あの頃は、

「なんで私がこうして惨めな思いをするのだろう...!」とか、

「もう生きていられない!」とか、

誰も助けてくれない!」とか。そんなことで頭がいっぱい。

 

見えていなかったんですよ。

学校外で平穏を与えてくれていた家族兄の友人幼馴染の存在が。

学校内にさえ少数ながらいてくれた、気にかけてくれる友人の存在が。

 

義務教育段階の学校の良くないところって、「狭い世界でしか生きられない」点だと思うんです。

学校で居場所がないと、あたかも1日24時間すべてにおいて孤立しているように感じる...。

そうして自殺未遂までしちゃって、

 

本当に死んでいたら...

家族は、幼馴染は、兄の友人たちはどれほどのダメージを負っていたのだろうか...?

あの女子が声をかける前に死んでいたら...

「私が早く声をかけられなかったから」と自責していたのだろうか...?

 

失礼極まりないことをした。

自分の命を粗末に扱いすぎた。

 

きっと、自分の欲望に従って人生を送っていると、また絶望に直面した時には粗末に扱うのだろう。

 

 

捨てようとした命なんだし、

もういっそ他人の為だけに消費した方が良いのでは...?

 

 

この気付きの瞬間、私は「自分のために生きる」ことを辞めました。

本当は死んでいる身なんです。なのに、それでも中学の同期、高校時代に出会えた全国の仲間、そして大学で仲良くしてくれる人たち...みんなは私を認知して、関わろうとしてくれている。

その、ごくごく当たり前が、私にとっての幸せで。

 

その幸せを、私が関わる全ての人にも感じてほしい!!!

というか、私がその幸せを損なわせたくない!!!

その想いは、私が寛容さを高めようとする大きなエネルギーです。

 

私が、かつて思っちゃっていた「誰一人...」とか「何一つ...」とかって否定。

今では一番嫌いな言葉です。

もう、たったひとつの希望を簡単に切り捨てたくないのです。

そう思いながら、周りの人が同じ言葉を口にしたときには、

本当に、1つさえないって断言できるの???」って問いかけていきたい。

 

結局、小学校の絶望を超えたら、学びの充実していた高校生活楽しさいっぱいの大学生活に出会えたんですから。

希望だって絶望だって、どちらも0じゃない確率を含んでいて。

酷な主張だって分かってる。分かっているけど、環境変化の時までは耐えてほしい

 

突然かもしれないけれど、私の好きな言葉を一つ。

 

「強く生きなくて良い。

どれだけ強い幹も、いつかは折れる。

だから、しなやかに生きよう。」

 

事を重く受け止めすぎない余裕と、あらゆることを認知する余裕が大切。

その余裕が得られず、辛い思いをしているときは、ぜひ私を使ってください

 

私は私で、言われずとも気付いてあげられるように、頑張って他人を見ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きていたら良いことがある」これは綺麗事でしかない、承知の上です。

「生きていても良いことは無い」これも綺麗事だと思う。

絶望に身を委ねる理由を探さないで。

変わらずいてくれる存在を、

今後出会えるかもしれない救いを、探してください。

 

2019.5.29(2246字)




2020.5.5 スマホより追記


ゼミで「読んでね~」って言われた本を読んで、思うことがあったので補足しに来ました。


約1年前の記事なんだね……。



締めの文章

「生きていても良いことは無い、これも綺麗事」

今見返しても、別に否定するものではないなって思います。


でもね。やっぱり酷だなって。


なんか、こういうことを言うのが私らしくなかったな~なんて思って、ここに帰ってきたんです。



私らしさっていうのは、繕わないことだと思うんです。悪く言えば嘘がつけないこと。


だから「良いことがないんです。辛いんです」って相談されても、

「確かにね……自分がこう対応したことにみんなはこう受け止めてしまって現状が変わらないことだってあるし……」とか言っちゃって、余計に追い詰めるみたいな。


これで本当に福祉の職員になれるのだろうか……?


不安にもなってくるんだけど、でもそれが私の在り方だなって。

「大丈夫!乗り越えられるよ!」って固く信じているわけではないんですよ。そう読み取れる書き方してたけど。

何事も一番の対処法は、やっぱり「じっくり時間をかけながら、自分が受け入れること」だと思うんです。急がなくて良いから受け入れる。


生きようとする力があるから、悩み苦しみ、何とかしたいって思う。


悲しいけど、その力は無限ではない。だから私は自殺しようとしたわけですし。

その有限の力を補給できるのが、心の拠り所だったり誰かの存在だったりする。その補給所を、活用しうるだけ活用しまくってほしい。そう表現するのが、より私の考えを形に出来る気がします。


私はあくまで一つのガソリンスタンド。

誰かを肩車して人生走ってあげることも、逆に人生から蹴飛ばしてあげることもできない。

でも、存在意義くらいは付与できるって信じてる。あの時の女子に貰ったガソリンは、死ぬ間際の私を少し走らせてくれた。もう少しって思って走ってみたら、いつの間にか走り続けられていた。


そんな感じかなって思うんです。


走れるだけ走ってみよう。

あなたの前に立ちはだかる絶望が乗り越えられる程度のものかどうかは、他人が決めることではない。走っているあなたにしか分からない。


走りに必要なのはスピードでも脚力でもなくって、長い時間。

だから「変わらずいてくれる存在」や「今後で会えるかもしれない救い」が大切なんだなって、

今改めて思いました。




AM2:40になるところ。

このブログは深夜・早朝にしか更新できない規約でもあるのだろうか???



おやすみなさい(⋈◍>◡<◍)。✧♡



認知されたい...?

 

朝の4時です。本当です。

眠たいです。きっと思考回路も正常ではありません。

別にいっか。今日はもともと正常じゃなかったし。そうなにゃ。

 

課題に追われまくって、更新は来週末かぁ...なんて思っていたけど、眠気を必死におさえて書いてますよえぇ。

無事に、金曜提出の課題は仕上がりました!ありがとうございます!!

 

私の知らないところで、後輩たちが盛り上がっていた話題...

どれだけ深い話ができるかわかりませんけど、とりあえず手を付けてみましょうか。

 

 

」って、一言で表すなら?

 

 

私は「あらゆる活動の原材料」と答えました。

  存在――――愛――――不足

  施し   無関心   破壊

ざっくーりした表にするならこんな感じ?

愛があるから、目の前の人と関わろうって思える。

愛が欠如しているから、犯罪で認知を求める。

愛が無いから、関わろうとも思わず、かといって敵対もしない。

愛の種類は色々あれど、愛の過不足は言動の源なのだなぁ、と。

 

 

あれ...?

そういえば私、前の記事に「認知されること」を好きの要因に挙げたような...?

愛があるから関わる...認知される......

 

 

 

私って、愛されたい願望がある!!??

 

 

ハズカシィ...(/// _ ///)

 

というわけではないにしても!

があるから、認知される幸せを感じられるのかな...?

私の新たな気付きになりました(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

半いじめみたいな経験もあって、その時は「直接ダル絡み」に悩んでいたんです。

どうせ嫌うなら裏でしてくれよ!!!」なんて思ってた。

今となっては、精神年齢低い子を達観する力が身についているんですけどね~ふふふ( *´艸`)

 

そうなった今では、

裏でアレコレ言われ、表ではなんだか避けられる...まるで私がいないかのように...

って状況が一番しんどく感じます。

だって、精神衛生が良ければ「からかい」が「いじり」だと思えますからね(=´▽`=)

それは(嬉しいって言うとMみたいで嫌なんですけど)認知してくれている証拠になります。

 

独りは苦じゃない、っていうのも、普段誰かから愛されていることが前提になるのでしょう。

愛だと認識しているわけじゃないのに、愛を感じている...

 

とっても不思議。

今は分かったつもりで書いているけど、しっかり睡眠をとって正常な思考回路を持った読者の方にも理解していただけるのでしょうか...

 

理解できなかったら、それでもいいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4:43のお外。綺麗な朝焼け。おやすみ。

 

今日2コマの教科書持ってきてなかったので、一度帰宅します。

嘘つき。

不定期だって言ってたのに、毎日更新してる...!!

昨日なんか、寝るべきだった時間につらつらと心配性を打ち明けちゃったりして...( ᐛ)パァ

いつか、いらんことまで語ってしまいそうだな~......怖いな怖いな~......

おかげで授業では大失態!!なんであんなに眠たかったのかなぁ...

 

特にネタが思いつかないので、昨日ちらっと書いた「怒らない」にまつわる話をしましょうか。

話の軸は、きっと「苦手な人、嫌いな人との関わり方」へと逸れます。

というかそれが本題です。

 

 

みなさんには、好きな人がどれくらいいますか?

 

あっ、恋愛とか結婚とかの対象に限らず。

一緒にいたい!って思える人、自分のことを一番わかってくれる人、頼りになるし頼ることを受け入れてくれる人...などなど。

 

私には、た~~~っくさん!!

そういう人がいます(⋈◍>◡<◍)。✧♡

(「何股だ!?」とかそういうこと思わないの!誤解だから!!)

 

ひとつ前の記事で分かっていただけると思いますが、そういう人のために頑張りたいな!!!って思えるのですp(´∇`)q

独りで過ごす=苦、というほどではありません。

去年の誕生日、独りでRoselia Fan Meeting 2018のライビュのため広島に行きました。

田舎者みたいにキョロキョロしながら歩いたり、独り鉄板の前にちょこぉん、と座ってお好み焼きをいただいたり。

初めてのことだらけ、色々感じるその心の動きに専念できますからね。

 

でも、好きな人って、私にとっては生きる希望そのものなんです(*´ー`*)

私にとっての好きな人は

「認知してくれる」 「最低限信頼し合える」

この2点が当てはまる人です。

 

きっと、読者の誰よりも枠が広いことでしょう。自信あるけど???

 

(今の)私にとって一番のダメージになるのは、一方の信用の失墜です......。

「頼ってくれている人を裏切ってしまった...」

「私は道具としか思われてなかったんだね...」

すっごく落ち込みます。私に復讐したい人はご参考に。

 

その後者、私を理不尽に裏切った人は、一度は「嫌いな人」の括りに入ります。

けれど、すぐに「ふつうの人」に戻ります。

 

 

さて、そろそろ逆の質問をしましょうか。

 

 

みなさんには、嫌いな人がどれくらいいますか?

そしてもうひとつ。

嫌いな人と、どう接しているでしょうか?

 

 

山ほどいます、っていう方、

避けています、っていう方に目を通してほしい。簡単に真似してもらえる話ではないと分かっている上で。

 

嫌いな人のために頑張りたいなんて思わないし、生きる希望を蝕んでいく。

それは勿論、私にとっても同じことです......。

 

けれど、意外と「頑張る動機」になっていると思いませんか...?

この点で言えば、好きな人を超えることも大いにあり得ると思うんですよ。

「アイツって責任感なさすぎ!」→「私は責任を重んじたい」

「あの人、なんてマナーが無いの!?」→「私は他人の目を気にしたい」

「失礼なことばっかり言うなぁ...」→「言葉は慎重に選ぼう」

そんな風にひっくり返してみると、自分の価値観が浮き彫りになる。

しかもね!!!

私って、アイツと一緒じゃね...?」ってなった時、めっちゃ悔しくないですか?

私はそういう生き方をしています*1

(仮に心理コースに進んだ場合、「反ロールモデル」の研究を卒論でしようと思っていました。なぜ不快な感情が熱量を生み出せるのか...隠された自尊心があるのでは?というのが私の見解です。)

 

そして、もう一つ。

私は心に”天秤”を用意しています。

その片方には最も嫌いな人を乗せておく。(私の場合は兄ですが)

うわ!!コイツ大っ嫌い!!!」って思った人をすかさず、その天秤の反対側に乗せる。

したら、そのどちらかが「マシだな」って思えて、私は許せちゃうんです。

ふつうに関われるようになるんです。

 

この関わり方の何が良いのか?

それは、

「嫌いの感情をたくさん集められる、なのに腐る機運が全く高まらない」

これに尽きます!!

「私はこういう要素を嫌いだと思ってしまう」という捉え方ができれば、嫌いな人に深く傷つくことも減ります。

私の場合、好きな人の広さと相まった結果、関わる人のほぼすべてを許せます(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

どうしても嫌だと感じるときは、容赦なく距離を空けることも大切ですよ?

けれど、距離を空けられない人間関係だったりする場合に、解散や卒業などが来るまで待てるためにも、参考にしていただければと思います。

 

寛容な人間は素敵に見られがち。無理しないで実現できたら良いなっていう、私の高い高ーいハードルのお話でした。

 

ごっちゃごちゃかも、読み直しせずに投稿します。

 

 

 

 

 

 

今日は更新する時間無いからって言ったのに...!!

*1:´∀`*

怒ってはいないのです。

今日はちょっぴり重たい話かもしれないです......。

精神衛生の良い日に読んでくださいね?

 

 

 

 

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うさぎさんのあしがなおりました。あくりょくのきんとれを......

 

本題はそちらではありません!!!

 

最近の住人生活、とっても充実しているんですよ!!

分かるんですけど!!!

私の悪い癖が出ちゃうんですよ!!!!!!

 

今日、後輩の何人かが寝坊したみたいなんだけど、

( ´_ゝ`)「別に、私には影響ないしなぁ...」

(○`ε´○)「もう知らない!!!」

のいずれになるわけでもなくて...

 

(^-^)「次は気を付けないとね!(私にこれを阻止する方法は無かったのかな...悪いことしたな......)」

 

って思っちゃうんです。

私は、お節介の激しい人でしてねぇ...

加えて、目の前で何かが行われて、それによって大変な事態が生じたときには「私の責任」を探しに行ってしまう。

自分には非がない」ということを認めないのです(>_<)

 

どこからこんな性格が出来上がってしまったのでしょう...?

とにかくお節介なのです。

(某ソプラノに「母性がある」と褒められたのですが、お節介を焼かれる側としては迷惑でしょうね...

反抗期カモン。)

 

ついでに言うと、私は「よく他人のことを見ている」って言われました。

それは認めますが、理由は「他人をよく見ていないから」です。

 

What?

 

人間って、マイナス感情を隠すのが本当に巧みなんです。

よっぽど鈍い人じゃなければ、それを痛感した経験はあることでしょう...

考えすぎの原因ではあるんだけど、そこに気付いてあげないと主張しなくなっちゃうから。

我慢した結果、爆発した人を知っている。腐っていった人も知っている。

その「気付けなかった」までもが「私の責任」になり得るのです。

 

なんて生きづらい人なんだ!って思ったでしょ?

そうなんです、生きづらいです( ´艸`)

 

いつかはブログで語るかもしれません。

色んな事があって、私は「自分のための人生」をとっくに終えています。

今は「他人のためが私のため」になりつつあって、多少は生きやすいかな...?

人のためにできることがあるのなら、どれだけ身を削ってでもしたい!!

だからこそ、人のことばかり気にします。

 

住人の方、気付いていますか?

「オールしようかな」と言ったことはあっても、

「オールしたら?」とは言っていないことを。

私は絶対に起きられる自信がある。けれど、みんなはそうじゃないかもしれない。

 

それによって寝坊した授業が、その人の人生を大きく動かしたかもしれない。

 

将来の夢を決めてしまうような内容

グダグダすぎて、悪いお手本としていつまでも心に留まる授業

ひねりだして受講票に書いた、思い付きの優れた発想

 

その出会いを失ったかもしれない。

そこまで考えてしまいます......。

 

とはいっても、それは運命であって私の力が及ぶことではない。

一度は「私が...」って思っても、いつかは開き直れますからご安心ください。

 

今日寝過ごしちゃった方は「今たっぷり寝ることがあなたにとって最善の道だったのだ」と、運命が操作したのだと思えば良いのです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

インフルエンザで休んだから分かるけど、一回休んだくらいじゃ試験危うくなることは無いだろうし!

頑張って立ち直ってね~🏴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒ってはいない。心配しているだけなのです。

私は滅多に怒りません。その話もいつかしましょうか......

懐古。

やっと、「その時、歴史が動いた」の感想レポートを書き終えました。

裏面5行!やったね!!

 

こんばんは。えふです。

 

今日は飛び入りで、人間科学部の新歓レクリエーションに参加してきました(*^-^)

いや~、めっちゃ元気やったなぁ~......

私、去年のレクでは全然慣れ親しんだ感じが出せなかった気がするんだけど...?

既に今年の1回生は互いに解けあっていたように感じました。

美男美女いた。嘘じゃなかったね。眼福。

 

水曜3コマ。懐かしいね。

90分起きていられたのは、たった1回だったかな???

今年の一回生も苦労しているのでしょうか...?まして100分だもんねぇ。

 

今、部室では人科の後輩が揃って課題をしているんです。

人間科学概論と人間科学入門セミナーの。

懐かしい...!!!!!

9分割統合絵画法...Cクラスだった人、覚えてますか?

今も恋愛ゲームはしてませんよ!ホントです!!

 

概論のレポート...「レポートって何ですか?」って思いながら、それっぽーく書いたつもりなんだけど......

保存してあったレポートを見返したのです......。

 

ただの感想文!!!!!!

ナニコレ!!???

 

まぁ、そんなもんか。

今となっては、多少サマになっているレポートを書けるようになった気がします。

それこそ、さっき書き終わった感想も、意見がしっかり含まれた良い文章になったのでは?

 

 

そんなこんなで、着実な成長を感じた1日です(*´∇`*)

あの頃のド人見知り、てんやわんわの課題、住人になる前の早帰り......

 

過去を思い出せる機会って、やっぱり必要ですね。

最近、怠けてきたなぁ...高校時代の方が賢かったよな...って、自分を否定的に捉える節があって。

けれど、昔のことを思い出してみると、少し自分を認められる。

 

ブログ最適じゃん!!!!!!

 

今後しっかり活用していきますね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

疲れてて、よくわからん話になった。ごめんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント誰でもできるので、こんな話聞きたい!とかあれば適度にお応えします。