えふの呟きLong

不定期についーとするだけのページ。

通っていない筋。

最後の更新から2年近くが経ってしまいましたね........

 

元々よりTwitter Long Ver.として使っていたブログなので、そりゃ手軽に更新することができないのは当然なんですが......

2023年は一体どこに行ったんだってばよ............

 

 

今回は珍しくも主題と動機がはっきりしていて繋がっている記事になりそうではあるんですが、前哨戦。去年のことを振り返ってみますかね。

 

 

 

 

2023年

コロちゃんによる隔離生活も次第に解放へと向かっていき、人とのつながり、温もりを感じられる機会に恵まれ始めた良い一年でしたね。

相変わらずの激務で、仕事まみれ肉体疲労精神疲労まみれの一年ではあったけども。

 

何よりも良かったのは、マスクを外して素顔で子ども・職員と向き合えたこと。

マスク・リモートに慣れすぎてたけど、改めて当たり前に対面でかかわっていた生活に戻ってみると、気持ちの読み取り方とか伝え方とか、圧倒的に楽になったよね。

気持ちを言葉に起こすこともめっちゃ大事なことだけど、やっぱり言葉だけでは伝わらないというか。

 

仕事の方はさらに、2年目である同期2人とでユニットを担当するという試練に、

一人が序盤でリタイアしてしまうという試練に。

かつての記事でも書かせてもらった、本当に素敵で能力の高い同期6人。

不安半分と頼もしさ半分とから始まった2年目は、この最高の6人が早速減ってしまった哀しさと、増えてしまった責任との闘いに変動していきました。

それでも、部署の大きな先輩方と相方でいてくれた1人の同期のおかげで走りきることができました。至らないところたっぷりだったと思うけどね。

 

久々に過去の記事を読み返してたら「報連相が下手くそ!」とか言ってて。

いや、今もやん。成長しとらんやん。なんなら2024年になっても........とか思って。

 

こんなクソ真面目卑屈人間と仕事こなしてくれる皆さんに感謝しかありません。

 

そして一方、歴史の厚い法人なので、忌まわしき”法人飲み会”の洗礼もしっかり受けて。

いや、幼少期アイドルになりたかったよ?可愛い方の。でもそれ”幼少期”だから。今キャピ×2女子になるのはハードすぎるというかさ.........

センターアイドル、野太い声で熱唱したらしいよ。

 

でも同期の化粧が上手だったので、本番はちょっぴり楽しかったかも。

私がしまこんに入ってなかったらコレで仕事辞めてたと思うんだよね。

パフォーマンスへの抵抗感DOWN、歌スキルUP、ステージの心得......バフを色々と授かったが故に楽しむ余裕があったと本気で思う。

本当に、しまこんとの出会いは私にとって最強の御縁だったのかも。

 

ただ、哀しいかな。これが私の”職場で歌を発揮する”の最初の一歩でした......。

 

 

でもね!この先がとっても良くって!

子どもと一緒に、地域のカラオケ大会に応募したら!なんか本選通って!!

 

参加者のレベル高すぎて私が入賞とか口にするのもおこがましすぎたんだけど、ソロパートも経験なかった私が、ソロで歌を届ける初めてのチャンスをもらいました。

流石に、今までにないくらい緊張した。北海道での全国大会よりも。

あんなに足が震えてたのは中学校時代、楽しめていなかった合唱コンクール以来かも。

自分の粗までそのまんま耳に届いてしまう。その恐怖ったら。

 

でも、逆に言えば自分の感性に任せて色付けしたものもそのまま耳に届けられる。それが本当に楽しかった。優越感みたいな言語化の難しい感覚で。

舞台裏での他参加者との励ましあいとか、褒めあいとか。それもまた、解放された生活でこそ得られる温かなものだったなあ。

他のユニットの子どもたちにも応援してもらって。”ゲームに詳しい、よく怒る先生”から”ゲームと歌が上手い、ちょっと恐い先生”くらいにはレベルアップできたような気がします。

 

自分の持ってるものをうまく発揮できたというか。ただでさえ自己卑下の激しい私なので、こういう事はめっちゃ大事で。疲れの蓄積が深刻だった冬を超えられた大きな要因でした。

 

 

仕事以外のと~っても大きな出来事!!!

念願のゲーミングPC購入!!!!!!!!

 

「車とPC買いたい」と言いながらあまりにもお金を使わずに生きている私を見かねて、先輩とじゃんけんで買うことを決めたとかいう羽振りの良さ。なぜそんな突拍子もないことができるのに今まで散財していなかったのか......私の本質はどっちや......

諸々込みで約30万!人生初の高額買い物はとんでもない額でスタートしたわけです。

車を買うときに更新されるのは間違いないんだろうけど、それを上回る買い物は今後生涯においてするのかなぁ......?

あんまりオープンにするべきじゃないのかもだけど、執筆時点で(奨学金全額返済後でも)六百に、一度も手を出していないこれまでのお年玉を加えたくらいは貯めています。しようと思えば大きな買い物は今でもできるけど、物欲が無いのでねぇ......それに、その先の生活に余裕がなくなるのも嫌だし.........

 

人間という生き物に絶望ばかり抱いていて、消極的希死念慮を持っているくせに、長生きの安定のことは考えちゃうんだよな。

 

不思議だよね。さっそく不本意にタイトル回収しちゃったわ。

 

いつ死んでもどーでもいいって本気で思っているなら、今パパ―っとお金使っちゃって全力で楽しんだら良いのに、論理的に考えたら思えるんだけどさ。行動はそういかないのよね。

そこが”消極的”たる所以。死ぬとしてもなんか急に不運で死にたいのよね。

もう自殺までは考えられない。それほどにはこれまでの出会いに救われちゃった。

 

そんなことはいいんだよ!

サックサク、スラッスラのゲームが楽しすぎて!!

 

例外的にSF6だけは毎日のめり込んでプレイしちゃっていました。おかげで3か月でCマノンマスター到達.....寝坊すれすれで本当に身体に悪いことしてたけど、充実感は凄かったね。

他のゲームは仕事とのバランスを(これでも一応)考えているから、中々上達しないもどかしさと闘っているところ。

 

チルな一人用ゲームはあんまりハマらないのよね。

やっぱりゲームは誰かとしてこそ面白い!!

 

大学時代の例の事件、早く頭から振り切るためにゲームグループを抜けてしまった私に、再びゲームのつながりを、しかも新しい出会いいっぱいでもたらしてくれて。

既に30万円以上の収穫は得られたと感じています。

 

 

 

最後に、忘れようとも忘れられない。祖母との別れ。

これはまた、別件として書き起こそうと思います。語りたいことが多すぎる。

今でも頭に浮かべると泣いちゃうから。こんな出勤4時間前の時にはしないで、時間にゆとりのある時に向き合おう。

 

総じたら、成長と出会いの多かった、素敵な一年だったなぁ。

こんな私に関わってくださった方、改めてありがとう。縁を今年もつなぎ続けてくれた人もありがとう。

 

 

 

 

 

さて!2024年に戻りましょう!

 

ブログちょこちょこ更新させたいから、年間の振り返りは今度改めてしますね。どうせ詐欺になるんだろうけど。

 

 

 

ここまでで2900文字近く。読むのも疲れたでしょう。

本題に入ろうとしていますが、明日が早いのでいったん日を改めます。

 

忘れないように、本題のスタートだけ書いておこうか。

 

 

 

 

 

 

 

滅多にない、心から好きだと想える人。

その人が結婚しました。

 

 

 

 

 

 

 

さようなら、今日の私。おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やぁ!おはよ!2日経ったぞ!

 

この2日の間に、この本題について大学の頼もしい同期に長々と語らせてもらったおかげで、結構頭スッキリしちゃったんだけどさ(笑)

まぁ、色々書きながら、また反芻しようかな。

 

自分語りのブログを今でも更新できるくらいだし、大学でも職場でも自己開示に何の躊躇いもない私なので。多少赤裸々に話していこうかなとは思います。

 

 

暇な方、この先の爆弾処理にもどうぞお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

 

特別なキッカケがあるわけではなく、一目惚れのような唐突なものでもなく。

言動が素敵だなぁと思っているうちに、仲良くなりたいという気持ちの強さに気づいて。

そこは、今までの私の数少ない恋どおりと言いますか。

 

ただ、誰にも相談しない、打ち明けもしないうちに、

お休みが一緒になる日に気づいた時は、その方へ予定があるか聞いてみたり、

直接的な質問を避けながらも想い人の有無に探りを入れてみたり、

叶いはしなかったけど、一度お誘いもしてみたり、

 

今までの私では考えられないこと、積極的にトライしてて。

 

 

そんな矢先に、本人じゃないところから「結婚された」と確実な情報を握ってしまい.....

 

 

好きだと気付いたのも最近で、二人きりで何かしたこともまだなかったし、状況として語れることはこの程度。

(どう好きかだとか、どんな会話でときめいたかとか、そんなことはここで語りません。私は違うんだ。)

 

 

微々たるものだろうけど、柄にもなくアタックすることもできてたから、後悔もない。

 

 

 

 

そうなんだけどね。

なぜか、この辛さが処理しきれないのよ。

 

 

 

 

 

恋愛と性は、私を常々、悩ませ、苦しませ、追い込ませるテーマ。

 

自分でも自分の抱く価値観や感性が明確に掴めないから、

掴むためには誰かとその関係を持ってみてハッキリさせるしかない。

こんなゴミみたいな私と関係を持たせる...?傷つけるし汚点になるだけじゃんね。

 

止まらない自己卑下、他人第一主義の人格では、真っ先にこの考えになっちゃう。

だから内心と向き合い、ひたすら向き合い、自分なりに一番だと思う答えを並べてみるしかない。

でも、正解が分からないから、かつての自分の発言や思考に矛盾を感じることが多々。

 

一例を挙げるなら、

かつては自分のことを「無性愛者」マイノリティの一人だと思っていた。けど、最近は「男性自認異性愛者、なんだけど知人を性的に見ることや異性としての想いを打ち明けることへの抵抗感・拒否感が強すぎるだけの人」なんじゃないかなって感じてきていて。

とはいえ、好きだという想いを隠しているんじゃなくって、異性として好きだと感じる人は本当に滅多にできない。それは間違いでもなくって。

じゃあ、その滅多にない「好き」との出会いは一体何なんだ?って。

求めてるものが高すぎるのか?でもその要求基準だって何一つ明確にできていないぞ?って。

 

自分の恋愛感情のこともわかんないことだらけだし。

 

 

 

もう一つの大きな悩みは、自身のこれまでの経験と時の流れとの絡みによって。

 

私から好きになった場合は、全て不遇な道を辿っていて。

誰だ”私からじゃない場合も不運だった”とか今思った奴は。

 

小学校時代の、初恋と言える初恋は、噂話の拡散で気まずく疎遠に。

高校時代、一人目は相手からのOKも貰えたけど、全然恋人らしいこともできず嫌な思いだけ与えて解消。

二人目も、常に彼氏ができるから私が入る余地は無く。

 

 

その二人目よ。ある界隈ではよくご存知であろう二人目の話。

 

先に述べた価値観もあり、加えて独占欲もないから、当時の私は

「彼氏として支えられることは彼氏にやってもらおう。私は一番の男友達を目指して、変わらずその人のそばに居られたら良いかな。」という役回りに徹しようと、心に無理やり言い聞かせて納得させて。

放課後ふたりで長時間駄弁ったり、駅までの短い道を一緒に帰ったり。帰った後もずーっとメールを交わして。

そんな中で新しい彼氏ができたと知った時はこっそり泣いて。泣きながら電子上で祝福を伝えて相談に乗って。

 

そんな器じゃないとわかっていながらも、やっぱり”友達”だと悔しいんじゃんかって。

そんな矛盾を抱えたまんま、自己催眠を続けた結果。

 

”プロママ”大学時代へと突入。

 

大学時代は特に、”みんなのお母さん”として頼ってもらって、構ってもらって、居心地の良い独り身を謳歌しました。

でも、ただの独り身じゃなくって、完全な自己催眠にかけられた独り身で。

 

大学時代は、学部にもしまこんにもゲームの繋がりでも、素敵な人に囲まれていた。

その誰にも、異性としてときめくことはなかった。気の合う人とか、特に居心地の良さを感じる人くらいはいたけど、突き動かされるものはなかった。

 

自己催眠が上手くいった一番の要因は、焦りの無さだと思っています。

 

今は恋人がいたって卒業時の迷いとか、相手の進路を狭めることとかにつながるよね。

どうせ大学生活中に結婚まではしないんだし、今は広く人間関係を築こう。

そして、私には”二人目”である あの人が地元にいるんだから。

 

そう思い大学生活を続けているうちに、その人との連絡も疎遠になりつつ...

そりゃそうだよね。彼氏優先が当然だよね。

 

 

.........大人になって仕事まで始まったら、友達関係はそうやって希薄になる一方じゃね?

だったら、現状の友人関係で満足していても、本当に大事にしたい人とは恋愛関係を結ぶべきなのか......?

 

気付いた頃にはもう手遅れ。

だって私は、知人を異性として見ることに極度の抵抗感を抱いちゃうんだもん。

 

 

今更、大学で関わった人へ恋心を持つことすらできず。

大学の人間関係は、やっぱりママとして大事にしよう。恋愛は社会人になってから。

 

 

 

そう思って入職して、今に至ります。

 

 

大人になったからといって、誰彼構わず好きになったり異性として見れるかというとそうはいかず。やっぱり抵抗感は(入職直後の後輩に対しても)多少なりとも感じちゃって。

 

そんな中で、やっと好きになった人。その人の結婚。

好きな人だとか彼氏だとかのレベルじゃない。人生の伴侶やぞ?

 

その人は、私が片想いしてることに気づいていたとしても、変わらず接してくれている。その表情が声色が優しくて。

 

二人目の時の「彼氏がいる女性の、異性の信用できる人になれるのか?」という、成功したのか失敗したのかよく分からない挑戦が、

「旦那がいる女性の、異性の信用できる人になれるのか?」というハードモードへと進化して、今私に立ちはだかっているのです。

 

 

独り身の楽しさを覚えてきたはずなのに、やっぱり心のどこかでは添い遂げる人を求めているんじゃなかろうか......

そんな新しい矛盾を抱えてしまい、たいへん混乱している今です。

 

 

 

 

 

ここまで打ち込んでみて。

 

本当にその”挑戦”と向き合うべきなんだろうか?という視点もある気がしてきた。

 

電話で聞いてくれた同期は「いつか離婚するかもやん。その人の選択としてえふを選び直すようにガツガツ行けよ」とかいう図太アンサーをくれて。できる気は微塵もしないけど......。

諦めがつくんなら、気を遣わせちゃう前に二歩も三歩も身を引いたって良いわけだし。

 

ただ、そのいずれを取っても「他人の幸せのために身を削り、心の底から願う」という、これまで信念をもってやってきた生き様を脱ぎ捨てることにもなって、25歳になっている今からそんな大きな舵切りができるほどの精神力があるとも思えず.....

 

でも、電話の同期の「好きって気持ちを棄てる必要はない」は本当に良い言葉だと感じていて。虚しさを感じる危険性も若干あるけど、相手が変わらず接してくれるなら、私も変わらない関わりを続けて、その時間と感覚をありがたく享受できれば、とも思ったり。

 

虚しさ、感じないんやろうか......絶対、近いうちに辛さに襲われることがあと何度かは来るよな.......とか思ったり。

 

 

電話した後も、やっぱり上手いこと思考はまとまりきりません。

こんなにかき乱されて動揺しちゃうのは初めてかもしれない。

 

 

 

 

高校時代、大学時代に、特に先輩や先生、実習先の職員さんからは

「えふくんは人生何週目?年齢が中身について行っていないよ」的なことをよく言ってもらえていたから、素敵な御縁は今後に待っているのかもしれない。

 

とはいえ、今この瞬間の御縁も大事にしたい。大事の仕方はどうしようか。

 

もっと無神経で、もっと我儘な人間だったらね。

昔から優しい人になりたかったけど、優しくしようとしすぎるのも損かな。

 

 

恋と愛の違いについて、その人に聞かれたことがあったのを思い出した。

 

私的には、自分の幸せを望むものは恋で、他人の幸せを望むものは愛。

排反するものではなく同時にも成り立つ。その時は恋愛と呼ぶ。

 

恋は今までどれも良い結末を迎えず。愛専門でやってきております。

 

 

それが私なのかなって。そういう運命なのかなって。

 

 

そんな風にでも、また割り切れたら。

大学時代を楽しめたように社会人としても前向いて顔上げて、愛を振りまいて生きられるのかなって。

 

 

恋はちゃんと捨てきれるのかなって。

 

 

 

 

そんなことをぐるぐるぐると考えている、ここ最近でした。

 

 

今回は答えを出すブログじゃないので。思考整理の記事にするつもりだったのでね。

こんな雑な報告で良いんですよ。

 

 

もし、こんな私に救いの言葉をかけてくれる心優しい方がおられましたら、何らかのツールにてどうかお届けしてくださいませ。

 

 

 

ちなみに、割とちゃんと寝れています。今回の件で寝られなくなったことはなくって。

唯一付き合った方へ、告白するかどうかで悩んでいたあの時が一番睡眠への支障はあったかな.....

 

 

健康面は心配しないでくださいね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も女装したんだけど、去年より断然痩せててドン引き。

本当に健康面の心配はないのか.....?

 

たくさん食べて、とりあえずは笑って年を越したいと思ってます。

みなさんも、温かく過ごしてくださいね。肉体的にも精神的にも。

 

 

 

(6860文字+1220文字?)

 

<異例のおまけコーナー>

 

一度下書きに隠した理由。

 

 

 

「結局誰の話なん?」と思った方はここまで。

このページを閉じるなり、他の記事をお読みになるなりで、どうぞ。

 

 

 

 

 

続きを読む

2022年。

毎度恒例になってしまった”ブログ書く書く詐欺”に終止符を。

 

 

 

ご無沙汰しております。えふです。

 

2022年も、残り30時間ほどで終わってしまいますね。皆さまお疲れさまでした。

今年一年も生き抜いて偉いです。凄いです。頑張りました。

 

学生生活がついに終わり、社会人としての生活がスタートした今年。

脱線しつつも、色々な気持ちとか考えとかを、見直しもほとんどせずにつらつら書き留めようと思います。

 

 

 

まずは、やっぱり仕事の話から。

 

学生の頃は......とにかく頭を使った。福祉という知らない分野・知らなかった世界を知ることは難しかった。

「自分の人生に勝手に上がり込んで、勝手に評価して、勝手に干渉する人」にならないために、自分の良心が他人を追い詰める迷惑なものにならないために。

サークルやゲーム、料理への比重が大きいながらも、大学にいる時間はしっかり考えてきた。

 

その時に抱いた考察や決心......

今、仕事で関わっている子どもたちに発揮できているのだろうか?

できているものもあるし、意識からこぼれてしまっているものもきっと。

体感的には、後者が大半なんですよね。

 

今思うことは、頭を動かすよりも、経験を積むことの方がよっぽど大事だということ。

文献や資料を読んで、当事者や講師の言葉を聞いて、「もっと~~した方が良いよ」「~~しなきゃいけないね」と考えてきたことも、

現場に出てみると「そんなことは百も承知、だけど実現が難しいのよ」ということばかり。だって、それまでの研究考察が絶対正義となるのなら、既に福祉は簡単な仕事になっているはずで。

 

現実、言い聞かせベースの声かけが多くなったり、トラブル時に双方の意見を大事にしようとして結局進めなくなったり......楽しい時間を創ってあげられているのかなぁ?と不安になる毎日でした。

前半3ヶ月は特に、周囲のコロナ感染もあって私の焦りが高まってしまい......

 

専門性の確立にはまだまだ乏しいながらも、”誰に対しても誠実に”という気持ちだけは忘れず、しっかり子ども相手にも謝ったり、不安な気持ちを汲み取ろうとしたりしてきました。

 

昨日の勤務にて、一番怒ってきている某小学生に「先生ともうお別れなん?」と寂しそうに言われた時は、こんな私でも頼りにしようとしてくれているんだ、と安堵して少し泣きそうになりました。

「あと4回寝たら会えるんだよ」と笑って返事しましたが。

 

そうやって関係性ができ始めているからこそ、もっと目線を合わせて、焦らせないで時間を送らせることができれば良いな、なんて思っています。

 

 

仕事は本当に大変で。

 

睡眠時間は少なく、休みの日にどこかへ出かける体力すら残っていないことも珍しくない。早く退勤したくても、人間相手なのでどうしようもなく遅れるときもあり。

まして、接触事故や寝坊など、人生初の失態もしてしまい。

 

特にショックなことは、「報連相がヘタクソ」だと自覚したこと。

伝えそびれ、確認不足、伝達の遅さ、把握の甘さ......

報連相大事!と意識しているはずなのに、初歩的なところで足を引っ張っている感覚が拭えない。

 

「なんで私を雇っているんだろう」レベルで落ち込む日もありました。

でも、仮に「キミこの仕事向いてないよ」と言われたとしても、「私はそもそも社会生活に向いていないんだよバーカ」という気持ちにしかならないので、たぶんダメージは変わらないのですが(笑)

 

それは余談としても、同期含め周囲が凄く眩しく見えるのです。

他人の欠点や苦労はこんなにも見えづらいのに、自分の欠点や苦労はどうしてこんなに見えてしまうのでしょう...?

 

誰にだって苦手なことはあるし、失敗もしている。

そんなこと頭ではわかっているのだが。しかしなのよ。

 

不安が拭えないのなら、その脆さをしっかり受け止めて、逆に子どもたちが失敗するところに一番寄り添える人を目指しても面白いのかな、とか考えたり。

ただ、しっかりしている子どもの目と心もあるから、それもまた難しい話......。

 

 

そんなこんなを、改めて文字に起こしてはみましたが、ふわっと常に考えている日々です。

下がる自己肯定感と闘いながら、目の前の子どもと真剣に、楽しく向き合っているつもりです。

 

 

 

 

 

仕事の話はこんなところで。

 

Next ➝ 歌!!

 

合唱できません!!!!!!!!!!

 

 

仕事が基本昼休憩のシフト。

どこも夜に練習しているので、一般団体に見学へ行くことも叶っていません。

車買ったら通いたいな!って入社前に考えてた団体もあったけど、勤務の関係でちょっと厳しそう。

 

今でも時々、大会や定期演奏会の音源を聴いて合唱熱を保っていますが。

仕事も忙しい上に、合唱属性のある職員さんが少ないので、歌うとしても独唱の道。

コロナ対策で厳しいながらも、月に一度はヒトカラに赴くことで歌う時間もなんとか維持しています。

 

大学の合唱団は......Twitterで見る限り、ミニコンサートもできているようで。

徐々に合唱自体は息を吹き返していることに安心しています。

 

3月、演奏会は無事に開催できるのでしょうか?

なくなっても遊びに行きます。よろしく在団生。

 

 

 

他人の歌を聴くことがやっぱり好き。

巧みな技術を見つけることもそうだけど、技術関係なしに個性が絶対出てくるからね。

来年こそは、もっと色々な人の歌を聴く機会が欲しいね。

 

その時、私は「デビルマンの人」になるのか、「Christopher Columbusの人」になるのか、「パスタの人」になるのか、はたまた他の印象が残るのか...どうなるのでしょうね?

仕事でも歌う機会が、無かったわけではないけども。

えふ先生といえば歌だよね!と印象付くほどの回数でも機会でもなかったので、そこもちょっと惜しい一年。

せっかくの、私の個性・取り柄ですからね。

 

 

 

最後に。

 

今回は、活動報告的な記事になった気がします。

2022年、閉塞感?動けていない感じ?のある一年でした。

2023年は、気持ちにも言動にも余裕をもって過ごしてゆきたいな、と思います。

 

大学の知人にも、高校時代の友人にも中々会えない日々が続いていますが、

楽しく生きていけますように(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しく、啓発的メッセージの少ない記事。

こういうのもいいかな。話の筋がしっかり通っているのかは知らんけど。

(2022.12.30 2545字)

ごはん。

今日で何度目の宿直でしょうか?

誰かが詰所におられる時に打ち込む罪悪感.......

 

すみません。ちゃんと業務は取り組んでいるので許してください。

 

 

こんばんは。えふです。

 

およそ4時過ぎにこの記事は投稿しています。ひぇー。

いつもの深夜更新ですので、まあまとまりのない記事になるとは思います。

校閲中、「これから職場の人に読まれるんだ...って思った瞬間、敬語口調で書いてる箇所が増えてて面白いなぁ」って笑えるくらいには頭働いています。)

 

それを分かっているので!

写真ばっかりの題材に!!します!!!

 

 

 

初めての自炊。3年ほど前の記事にて ぶり大根 の写真を記事に載せましたね!

自炊の経緯、そんなに詳しく書いてはいなかったと思いますが、以前の記事をご参照あれ。

 

あれから......

正直、初めて自炊に挑戦した頃、好きだった掃除も段々と抜けてきてしまっていたので

「料理のブームはいつまでかなぁ...」なんて、悲観的に考えていました。

 

餃子を包んでみたり。

 

里芋を煮っころがしてみたり。

 

卒業する先輩から炊飯器を譲り受けて。

6時間くらい火にかけて角煮を作ってみたり。

 

ルウを使わないシチューを作ってみたり。

かと思えば、ルウに頼りながらホワイトロールキャベツ作ってみたり。

(半玉を買っちゃったせいで非常に不格好である)

 

温玉まで自作のチー牛で白米2.5合食べてみたり。

揚げ物にも挑戦してみたり。

お正月には実家の雑煮を松江で再現してみたり。

料理本も買ってみたり。

ぶり大根よりもハンバーグの方が得意になっちゃったり。

朝食づくりにも挑戦してみたり。

しんどい日でも、雑に豚キムチは作ろうとしてみたり。

 

 

 

.........いや、めちゃめちゃ続いてるじゃん!!!!!!!!!!!!!!

 

 

ただ、三食を完璧に作っているわけではありません。

朝食は寝すぎて抜くことが多かったし、昼はインスタントのパスタや蕎麦ばっかり食べてました。それに、料理するのは学食の空いていない土日祝が中心。

毎日毎食じゃないから、楽しさいっぱいで続けられたのかなぁ...とか思ったりしています。

 

もっと大きな楽しさの要因があって。

 

他人のために作るご飯が美味ぇ!!!

 

自分だけが食べる夕飯も美味しいんだけど、どうして他人のために作ると、こんなに美味しく楽しく作れるのでしょう...?

掲載した写真の料理の内、半分以上が合唱団員・学部同期に振る舞ったもので。

 

みんな「美味しい」って言ってくれるし、空になった食器や鍋を見て、またさらに幸せな気持ちになって。

仕事のシフトや体力の都合で、社会人になってからは料理を振る舞うチャンスすら作れていないですけど、また誰かを誘って料理したいなぁって常日頃から思っています。

 

 

そして、料理以外のところに目が行った方もいることでしょう......

 

酒ばっかり飲んでんな!!!!!!

 

酔っても私には何にも変化が起きないことが、初めての飲酒で分かったので「もうお酒は飲まないだろう」って思っていたんですよ。

なのに...美味しいんだお酒が......

 

飲酒解禁日に「微妙だなぁ...」と思っていたビールは大好きになり、

「よく飲めるね!こんなツーンと来るものを!!」と思っていた日本酒も大好きになり、

「これ美味しい!一番好き!」と思っていたハイボールウイスキーを買って自分で割って作るようになり、

何より、果実酒なんてものを知ってしまって。

2.7L、5か月で亡くなってしまったよ!

大好きな杏露酒シリーズ。これはステマです。

 

酔うことには意味がないので、単純に味を求めてお酒は飲んできました。

それの説得力を、時々写っているコーラやいちごオレが増幅させていますよね。

(まぁ、本当は三ツ矢サイダー狂なんですけどね、私。)

だから、ストロング系超!人工甘味料みたいなお酒は一度っきりです。果実酒が一番美味しいんだから。

 

とはいえ、世の全員が酔ってもシラフのように過ごせるわけではなく...

 

互いに飲ませ合う空気感・下世話なトークが苦手な私は、

こうして家に招いて料理を振る舞って、互いに好きなように飲んで程々に酔う、小規模の飲み会を開くことが好みです。

みんな穏やかに酔って、少しだけぶっちゃけ話なんかもしちゃうくらいが丁度良くて。

 

”お酒が美味しい...ご飯が美味しい...話が楽しい...”

その思いに浸って家に帰る、そんな時間をつくりたいがために料理を頑張っていた大学生活でした。

 

またしたいね。

 

 

 

人間関係のトラブルがあったり、卒論や就活へのプレッシャーで大学生活がどんよりし始めたり、息抜きに遊んでも思考がそっちに戻ってしまうせいで躊躇してしまったり。

何をしても楽しくならないのに、そもそもコロナのせいで楽しいことの幅が狭くなっていて......

 

そんな中でも、美味しいご飯の味は変わらない。

美味しいご飯の温かさは変わらない。

 

どんな時でも、ごはんだけは私の味方で、少しの幸せに包んでくれるんですよね。

フレデリックっぽく言うのなら「ゴハンは笑顔で待ってるぅー

 

さすが三大欲求の一つ。恐るべし。

食欲すら無くすレベルのストレスだけは抱えないように生きてゆきたいなって、心の底から思います。

誰かと食べたら幸せドン!さらに倍!

 

 

子どもの頃は好き嫌いも多いし胃袋は極小だし、ここまで食べることは好きではなかったんだけど...

苦手を克服することって、結果として自分に返ってくるのかな。

「栄養あるんだから食べなさい!」「勿体ないでしょ!」みたいな注意を受けて、「だったら最初から用意しないでよ、そしたら捨てんで済むのに」って内心怒りながら無理やり食べてきたけど。

「食べれるようになったら、食べることがもっと楽しくなるよ」って言われていたら、少しはトライしようとしてたのかな?

それとも、栽培・飼育や調理の経験あってこそなのかな?

 

クソガキだった頃の私の思考なんて、今じゃよく分からんけど。

大学生以降という最近のことであっても、食事が好きになって良かったなって感じています。

 

 

......結論を見失ってきた。つまりは締め時。

 

大学時代、フル単や大会終了後のセルフご褒美でスイーツを買ったり、ちょっと費用がかさむ料理を作ったりして自分を労ってきた。

改めて考えてみれば、もっともっと小さい頃から、お祝いやご褒美には美味しいものが待っていた。

 

ごはんのパワーって凄い。歳を取るほど感じることで。

そして、そのパワーに支えられてきたんだなぁって、書きながら感じています。

 

そのパワーを生み出せる人に!

まだまだ料理は趣味・特技として磨き続けたいですね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯テロ?知らないよ。食後に読めば良かったじゃんね。

2022.6.22(2691字)

大学。

なんと!

約14ヶ月ぶりの更新ですって!!

 

ブログって、思考・思い出・感情が色褪せない内に書き留めるものでは...?これじゃ意味半減しません...??

と思いつつも、続けてゆきたい趣味の一つではあるので、久々に着手。

 

 

改めまして。

こんばんは。えふです。

 

 

気付けば2022年、社会人1年目、5月.........

時はあっという間に過ぎますね。何京回も言われている言葉でしょうけど。

 

現在の時刻は午前0時過ぎ、職場におります。

宿直中なのですが、寝過ごすとまずいので今こうして趣味再開に至ったわけです。

 

前回の記事は、大学3年時の定期演奏会感想。

あれから大学卒業して仕事を始めているわけなので、そりゃ当然色々ありました。

良い話としては、合唱の一般団体の方へ久しぶりに顔を出せたり、念願のオペラコンサートに参加出来たり、Apexを通じて更に人脈が広がったり、初めて料理本を買ったり、国試2つとも合格したり、児童福祉関係のお仕事へ無事に就職できたり、優秀な同期たちと少しずつ信頼しあえたり。無事に会社同期内ではいじられポジになりそうです。ぴえん。

悪い話もまぁ......

いや、置いておきましょうか......恋愛運皆無やなぁの一年だった、とだけ残しておこう。

 

ただ、本当に学びに溢れた有意義な4年間を過ごせたことは確かだし、それのおかげで今社会人として頑張って、先輩同期子どもたちと(決して上手くはないけど)関わることができていると思っています。

 

 

大学に入学するまでの私は、”大人”というものへ完璧を求めすぎていました。自分が歳を取るにつれて、その追求は自分にのしかかり、反省と自己嫌悪にまみれた日々を過ごしていたように思います。今もその傾向は若干あるけどね。

 

でも。

「ダメでも良いんだ、って自分を認める・許すことが大切」ということはその言葉だけではなくって、大学の授業でも、友人知人の生き様でも、日々大学で過ごす中で実感を持って掴めるようになってきました。

おかげさまで、努力があまり負担じゃなくなって、自己犠牲という認識も軽くなって。

おまけに、「頑張らないでください」なんて言っちゃう某法人のトップまでいるんだもん。生真面目に自分を追い詰めすぎていた昔の自分に教えてあげたいね。

 

社会福祉に携わる者、国家資格を持つ者として必要な知識も、当然沢山習得しました。

ただ、大学の本質はそこではないんだなって感じる場面に、卒業してから既に何度か出会っています。

 

 

 

他人を知ること。そして自分を知ること。

 

 

自分と他人を比較して、悩み落ち込むのも良いと思います。

他人を妬み羨ましがるのも良いと思います。

その過程で、自分が今どうやって生きていて、今後どうやって生きてゆきたいと考えているのかが、少しずつ見えてくるような気がするので。

 

加えて。

ダメな自分を認めることで、他人のできているところに「劣等感」ではなく「感謝」を抱くことができるようになれる。

自分一人じゃ世界どころか、小さな団体すら回せないんだから。

 

リーダー塾にて「私はフォロワーシップ特化型だな!」なんて自己分析をしたように、生きるためには他の人と手を取り合うことが不可欠だし、それを重視したいというのは以前から考えていたところ。

それとの相乗効果。「すぅごいねお前たちぃ!!!」

私のできないところを他の人が担ってくれるから目の前のことが進んでいるんだ、という考え方が定着してくると、他人にものすごく優しくなれます。

 

頼って生きてゆくのが当たり前なんだ、って気付けると、こうして見えてきた他人の凄さ・できるところに沿って助けを求められる。

結果として、自分がものすごく楽に生きられるようになりました。

 

楽に生きるようになると、他の人からの印象や評価が気になってしまうかもしれませんが...

正直、関わる人の表情や言葉をみるに、楽に生きるようになってもさほど変わりません。無責任な事さえしなければ、楽しちゃって良いんだと感じています。

 

「楽ってどうやってするん?」というのが、かつての私の悩み。今もそうかな。

ほんと難しくない?これ。結局ここなんだよね。全部ぶち壊しやん。

 

私が今使っている物差しは「これが長く続いても平気?」と自問自答すること。

そして、「ちょっと嫌かも」なんていう気持ちを正直に受け止めること。「ちょっと平気かも」に変わるポイントを考えてみること。

 

私の周りみんなそうしているのかもしれませんが、頑張りすぎている方はお試しあれ。

 

 

そんなこんな、疲れもある中で2時間かけて色々書き連ねましたけど。

このブログの醍醐味が「なんか大事そうな話をしているようで、結論良く分からん」だということを今思い出しました。無理やりエンディングに突入しまーす!!

 

他人を通して、自分が何者なのかを知り、その自分を認める。

その大切さに気付き、さらには多くの機会までいただけた大学生活。

「高卒で良いから稼がせてくれ!!」と言い張っていた通りにせず、大学に進んで本当に良かったなぁと思っています。

 

大学での収穫も、生き様や得手不得手のように人それぞれでしょうけど、私という一例でした。

これは、得ようと思って得たものではない。たまたま出会えた学び。

 

特に目標や理想を抱かずとも学びには出会えますが、くれぐれも見落とさぬように。

気付けば気付くだけ、きっと成長できますよ!

現役大学生、未来の後輩たち、どうか充実した大学生活を!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の宿直明、6:30~9:30勤務。おまけに16:00~21:00のシフト付き。

合間には、昼食の用意と広島往復バスチケット購入と国資登録申請をする必要があり...

 

次の夜まで生きていられるのでしょうか?

あさって早起きできるのでしょうか??

 

死亡フラグになりませんように。

 

(2339字)

カラフル。

4か月ぶりの更新となりました。

えふです。元気です!頭はパンクしそうですが。

 

先ほどボランティアの関係で市社協の方に伺ったところ、担当の方から

「LINEが変な人だったから、直接会ってちゃんとしてる人だと分かって安心した」と言われました......とっても複雑な気持ちです。

 

そんなことがありましたが、今日は心穏やかな一日を過ごしております。

 

 

2021.3.6

3回目、にして異例の"完全無観客"での定期演奏会が行われました。

まずは、その前日譚から。

 

 

3.4

お手伝いで来ていただける先輩方への謝礼品を買いに、近くの洋菓子店へ向かいました。

とってもお洒落なお店。洋菓子店へ入ったのはいつぶりだったでしょうか......

丁度良いギフトを見つけて「これを6人分用意していただけますか?」と相談。

 

「少々お時間いただきますが、よろしいでしょうか?」と返答。

 

 

そこから始まった、2名の店員さんのラッピング地獄

「お客さんが来ませんように......!!!!!」ひたすら心で唱えながら、私はラッピングをする店員さんの背中を眺めていました。

終盤になって来ちゃったんですけどね~~~\(^o^)/オワタ

 

袋詰めが終わってからも、

「大変お待たせしました!」と困り眉で対応、ドアも開けてくれました。

 

本当にしんどい。仕事だから当然なんでしょうけど、唐突に忙しくさせるのは。

 

(だから、私の目の前で先輩が中身を後輩に投げ渡していたのはややショックでした)

 

今まで、そんな背景があると意識してこなかったラッピング。

人の手間があってこそなのだと、また一つ感謝すべきことに気付いた一日でした。

 

「いえいえ!突然だったのに本当に有難うございます!!」

 

 

3.5

朝、学指揮がLINEグループにて体調不良であることを謝罪していました。

リハーサル後には、団長が進行の拙さを同グループで謝罪していました。

 

直前になって、3回生の寝坊が増えたことが本当に心配だった。

練習日に待たされた時は虚しさすら感じてしまった。

 

それでも、やっぱり同期が好きで。

 

「このままだったら過剰にピリピリしてしまう!」と感じた私は、率先して励ましのメッセージを送りました。

後に続く、皆の良い言葉。「みんなと同じ学年で良かった~😊」

 

決して相性の良くない8人。

なのに何故、ここまで協力し合い、プライベートでも飲みや旅行をしたがる集団になったのだろう?

 

本当に不思議。

この部活に入らなければ仲良くなることは無かったのだろうと思う。

 

部活が辛くなった瞬間は何度かあったけれど、

「同期に非は無いから」と、同期のために続けようと努力した時期もあります。

 

皆のために頑張って良かった。

やっぱり素敵な7人です。

 

 

3.6

朝に寄ったコンビニ。

ここでも店員さんのサービス精神にやられてしまいました。

 

マイバッグを持ちながらお釣りを受け取っていると、

「袋にお詰めしましょうか?」と手を差し出しながら尋ねられました。

 

他のコンビニで経験したことのないやりとりだったもので......

 

仕事をしている人って偉大ですね。今年度バイトをしなかった(かつ実習をした)私は心の底からそう感じました。

感謝は尽きません。

 

 

お昼、恒例の写真撮影。

ついに私も、主役の学年として写真を撮られる時が来たのね~としみじみ。

OBのかまし愛のあるガヤに負け、やや照れが入りましたが、まあ。

 

個人的にはパート別写真が一番グッときました。

今回のBass、

なんと平均年齢が22.3歳!!!!!!

おじさん達の変わらない顔ぶれ。というか平均とったら毎年Bassが長老なのでは???

でも、当たり前のようにいてくれた院2回生の2名は、今年で本当に最後。

 

はしゃいだ写真をしっかり残し、あとは演奏を楽しむだけだ!!!

そう意気込んだ本番前でした。

 

 

 

やっっっっと、演奏会の話へと突入します。

ここまで約1500字。ぎゃー。

 

 

開演の指パッチン担当の私。

止まらなくなる☆TE☆A☆SE☆

カラオケでは調子に乗ってしまくっている指パッチンが、こんなにも怖いものだとは。

(ちなみに、昨年度のボランティアコンサートにて、一度スカってやり直しをした悪夢があります。そのためもあって、緊張感がピークでした。)

 

予ベルが鳴るまでの間、入念に練習をし、を拭きとり、また鳴らし......

自信を得られないまま、入場。

 

 

(左手を挙げて)「はじめたいでしょ~?」
「うん、歌いたーい!」
「行きますよー!」
「はい!」
「せーのっ!」(ここで3回連続の指パッチンの音、SEの可能性は無い)
「あぁ~!ユビの音ォ〜!!」

 

 

完璧な導入!!!!!

やったぜ!!!!!!!!!!

 

ゲネプロでは上手くいかなかった立ち位置変更もこなし、

いよいよ1st Stage

 

1曲目、ゲネプロから表情が浮かない(ように感じていた)指揮者に、なんとか笑顔を伝播させようと表情筋を使って歌いました。

 

なんか、みんな、上手くね......??

 

まるで、私と同じ考えを持っていたかのように、今までになく気合の感じられる歌声のみんな。「お前ら最高だな!!!」の一心で、1曲目を走り抜けました。

終わった頃には、指揮者の表情もなんだか柔らかくなっていたような。

 

2曲目、3曲目は同期の指揮。

伸び伸びとした指揮、楽しげな表情。

体調不良を隠すのが上手。本来それは褒めるべきことではないんだけど、おかげで歌い手として勇気づけられたのは間違いなく。

 

そして、歌い手の一体感の増し方が凄まじい。歌っていて最高に楽しかった。

翌日に聴いた1stは、どの曲よりも涙を誘うものになっていました。

 

 

指パッチンを成功させたのに、緊張は解くことができませんでした。

なんせ、2nd Stageはアンサンブルだったので。

 

「ちゃんとアイコンタクトしあおうな!」裏で念押ししあって挑んだステージ。

素敵な7人との演奏。

各パートでめちゃめちゃアイコンタクトしてる!微笑みあってる!

私もバリトンと向き合お......君めっちゃ真っ直ぐ歌うじゃん!!寂しい!!

こっち見て―!どやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 

けっこう動揺していました。バッチリ上ずった音に反映されちゃっているし。

同期とのステージは、波乱の多いものとなりました。

 

 

3rd Stage、潰えたコンクールの自由曲を初披露。

指揮の先生の楽しそうな表情。いつもの。

1stで全力をだしていたはずの皆の底力。

練習を始めた当初は「この曲もいつか楽しく歌えるんかな?」と不安でしたが、ちゃんと楽しく歌えました。

 

 

無事に走り切った。足がぷるぷるしてきた。でもあと2曲で終わるんだ!

 

 

アンコール1曲目。

歌詞がずるい。

今まで仲良くやってきた3回生のみんな。

当たり前のようにLow Bassを支えてくれた先輩たち。

「当たり前が幸せだと知った。」

 

本番絶対泣くやつやん!!と計画段階から思っていたので、何とか涙は堪えて歌い切りました。

でも音源聴いたら音圧弱くなってましたね。みんな泣いてたのかな...?

 

 

そして、指揮の先生の言葉

 

 

毎年、先生の最後の挨拶は震え声でした。でも私は「あぁ先生も感動している、本当に良い時間を過ごさせてもらっているな」と、感動するよりも胸をさらに張る機会になっているだけでした。去年は泣いちゃいましたが。

 

 

 

 

 

......先生?話しだすまでの時間が長くないですか?

 

そう気づいた瞬間、堪えていた涙が少し溢れてしまって。

 

「大学生が一番辛い思いをしてきた」

この1年間の思い出したくもない灰色な時間が、どんどん蘇ってきて。

 

「誰よりも人思いになるだろう」

これまでの行いが認められた気持ちになって。

 

「観客は未来の人なんだ」

これまでのコンクール・定期演奏会の光景が重なって。

 

「本物の演奏会」

これまでの演奏に意味が付き始め。

 

 

 

「3回生に拍手を送りませんか?」

ここで、私の理性は限界を迎えました。

 

ここまで拍手の無かった演奏会。

緑水たゆたふ、団長挨拶、きみ歌えよ、副学生指揮者、学生指揮者挨拶、こころようたえ、くちびるに歌を、伴奏の先輩、2stのMC、伴奏の後輩、ほらね、、ここから始まる、アンサンブル演者としての3回生、3stのMC、浜崎先生、若さのイメージ、願い 一少女のプラカード、空に小鳥がいなくなった日、花束贈呈、アンコールのMC、群青、

こんなに拍手のタイミングがあった定期演奏会なのに。

 

最初の拍手が、

定期演奏会の開催に尽力した3回生に向けられたもの、

私たちに向けられたもの、

私に向けられたもの、

 

本当にそれで良いのか。

 

感謝に押しつぶされ、私はその後の先生の言葉を聞くことができず、なんなら正面を向くことすらできず、ただただ情けない顔になるばかりでした。

 

 

2曲目のアンコール「夢見たものは」

歌えませんでした。しかも鼻をすする音を鳴らしまくり終演。

 

 

袖に戻ってすぐ、ハンカチを取り出して奥で思い切り泣きました。

声をかけてくれた後輩の震えた声を聞いて、「あぁ彼ですら理性を崩壊させたんだ」と思ったのは内緒の話。

 

 

約3600字。ここで小休憩をとらせていただきます。

打ち込みながらも、また泣きそうです。学研には人がそれなりにいるので、頑張って堪えます。

URL貼っておきますので、休憩にぜひ。

https://www.youtube.com/watch?v=j93itlToQO8&list=PLxLykXxQlZzV7vMBjO7Qr16DN_gTRFMP7

 

 

 

 

続き。

 

今回の演奏会でまとめたいことは3つ。

 

 

1.幸福と愛がひとつどころじゃなかった。

前日譚の話だけじゃないのです。3回生の結束力だけじゃないのです。

 

大学の返事も連絡も遅すぎて、後輩や先輩を振り回しまくったはずなのに皆ついてきてくれました。

個人的に、後輩の悩みや文句を何度も耳にしてきました。でも「辞めたい」ではなく「どうしたら良いか」「こうしてほしい」という前向きなものが根底にありました。

 

定期演奏会が無事に開催できたのは、間違いなく彼らの功績です。

3回生である私たちだけでは不可能だった。

 

夢見たもの、願ったものは「定期演奏会が無事に開催できますように」たった一つだったはずが、気付けばたくさんの幸福と愛に包まれた空間が創られていました。

 

 

2.記憶に残る演奏会って、きっとこういうものだ。

2stで歌詞を間違えたり、音がずっと上ずっていたり、最後なんかは鼻をズビズビいわせてしまったり。

これがコンクールだったら、戦犯どころじゃ済まない足の引っ張り方をしました。

 

でも、これは満身創痍の証なのです。

運営を始めた当初から苦しかったけれど、それでも全力で、全神経を使ってやってきた。

指揮者の先生のパンフレット挨拶文に書かれていた日のことは鮮明に覚えています。

なんだったら、春に幹部だけで先生と顔合わせしたことも。

 

外で先生を出迎えると「元気だった~??」と、いつものテンションの先生。

私視点だと、先生の書かれていることは逆です。

先生が笑顔で研修室へ来ていただいたから、笑顔をお返しした。

 

「大学は色々言ってくるし、急に制限をかけてくる。どうしたら良いっていうんだ...」と頭を抱えていた3回生は、先生の笑顔と燃え続けている熱意を受け取って、やっぱり頑張らなきゃ!って思ったはずです。私はそうでした。

それから3月まで必死にもがき続けました。

 

演奏を聴くだけで、ステージに立っていた時の感覚だけじゃなく、閉塞感に満ちた準備期間のことまでもが思い出される。

戦犯を超える足の引っ張り、技術的にはよろしくない演奏だったかもしれないけれど、きっと来年以降に聴いても、これまでのことを思い出せると確信しています。

 

そして、先輩も後輩も先生も涙していた。

きっとステージ上にいた全員が同じ気持ちを抱けると思っていますが、いかがでしょうか?

 

 

3.感情って素敵なものだ。

私は感情的に行動することが嫌で、とにかく理性的であろうと心がけています。

でも、幼稚園児だった頃に転んだ痛みで泣いた時くらいの涙を流しました。

 

に満ちていた。

 

先輩との最後の演奏という哀しみ

直前の危機感という怒りあと解散後の学指揮との口喧嘩。うるせぇハゲって言われた。

ステージの響きを感じたことでの楽しさ

初ステージどころか、団として初めてのイベントとなった定期演奏会開催への喜び

 

哀しみがあるから喜びを感じられて、

怒りがあるから楽しみを大切にできる。

 

カラフルな団員との、色彩豊かな演奏会。

 

これまでの灰色だった1年間を華やかに彩ってくれた。

立場上は演奏会を開催した運営側の人間ではありますが、

この舞台に立てたことを、誇りに思います。

 

 

みなさん、本当にありがとうございました。

私は、とってもとっても、幸せです。

 

歌い納めも楽しみます(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事ではなくサークル活動として歌っている私たちは、メンバーの違いを楽しむことが必須だろうと、ステージの度に思います。

特定のメンバーによる合唱の質・空気感を完璧だと思う瞬間があるかもしれないけれど、その瞬間にしかできない音がそこに響くのです。

2stの演奏が1st,3stの下位互換だとは誰も思わないようにね。

 

出会ってくれてありがとう。肩を並べてくれてありがとう。

 

起きてくれてありがとうね。ほんと。早く自立してな。

 

(5304字)